震災10年 思い重ねて 復興道半ば 支援に力 古里でボランティア 玉村町職員(福島出身) 畑中哲哉さん
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「自分を育ててくれた古里の助けになりたい」と語る畑中さん

 被災地の惨状を目の当たりにし、福島県でボランティア活動を始めて10年がたつ。「遠く離れても、自分を育ててくれた場所。福島を思わない日はない」。同県出身で玉村町職員の畑中哲哉さん(49)は、古里のある東北地方の復興を心から願っている。

 伊勢崎市の上武大を卒業し、同町職員となった。生まれ育った福島市を離れ、約20年たったころに東日本大震災が発生。土地も人も少しずつ縁遠くなっていたが、震災の衝撃から古里への思いを募らせた。

 被災直後の2011年3月下旬に同市を訪ねた。実家は屋根が傷んだ程度だったが、福島県内の沿岸部は福島第1原発事故の影響で近寄ることさえできない状態。翌月からボランティア活動を始め、相馬市や南相馬市などで週末を使いながら続けた。

 被災地は当時、がれきや土砂が辺りを覆い、津波で流された車や船が散在する状況だった。現地では遺留品や写真の洗浄、住宅の床下にたまった土砂を撤去する作業などに協力。倒れた電柱を、ボランティア仲間と力を合わせて撤去することもあった。「人が思いを一つにして発揮する力は本当にすごい」と振り返る。新型コロナウイルスの感染拡大前までは年に8回ほど同県を訪れた。

 数年前からは犠牲者の骨などを捜索する上野敬幸さん(南相馬市)が主宰する「復興浜団」に携わる。他に、にぎわいを取り戻すための「追悼復興花火 南相馬」「菜の花迷路」といったイベント運営に協力する。

 同県浪江町から太田市に避難したシンガー・ソングライター、牛来美佳さんの活動にも協力。20日に太田市民会館で開催予定のチャリティーライブの副実行委員長を務め、開催準備を進めている。

 群馬県の派遣事業で11年5月に約1週間、宮城県女川町に滞在した経験もあり、その縁で玉村、女川両町をつなぐ役割も担う。玉村上陽小と女川小は絵手紙の交換を16年から続け、2月にはビデオ会議システムを使った交流会を初めて実施。上陽小の担当教諭は「交流によって被災地を身近に感じられる」と受け止める。

 原発事故の影響で、福島県には今なお一部地域に避難指示が出ており、古里を奪われた人も多い。震災の余震とされる2月13日深夜の地震でも、同県で100人を超える死傷者が出た。「復興は道半ば。今後も支援に携わり、古里の様子を見届けたい」。口元を引き締め、前を見据える。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事