震災10年 教訓をつなぐ 災害医療 ヘリ出動基準を明確化
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孤立した石巻市立病院から患者を搬送する本県のドクターヘリ=2011年3月14日、宮城県石巻市(前橋赤十字病院提供、写真の一部を加工)

 東日本大震災は災害医療や避難誘導、二次被害防止、物資の備蓄など、県民に防災に関する課題を突き付けた。震災発生から10年。新型コロナウイルスという新たな脅威と向き合う中、教訓は生かされているのか。さまざまな形で震災と関わった本県関係者の視線を通じ、災害への備えを考える。
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 「ヘリを出そうか」「仙台に行くぐらいしかできません」。東日本大震災が起きた2011年3月11日午後3時すぎ。前橋赤十字病院(前橋市)は同日のドクターヘリの出動を見送った。テレビは津波が陸地に流れ込む様子を映していた。だが、日没が迫る。ヘリを飛ばしても現地活動は難しかった。

 当日は断念したものの、夜明けを待ち、東北にヘリを出した。07年の新潟県中越沖地震で負傷者の搬送や転院に機動性を発揮した経緯もある。当時、同院の高度救命救急センター長だった中野実院長(64)は「大規模災害時にヘリが役立つことは分かっていた」と振り返る。

 ヘリは孤立した石巻市立病院(宮城県)から入院患者を運び出した。辺り一面、津波にのまれていた。陸路で救出するすべはなく、ヘリにしかできなかった。いわて花巻空港(岩手県)を発着点に、沿岸部から内陸部の病院に患者を送る任務にも当たった。3月12~15日に計14人を搬送した。

 災害医療は1995年の阪神大震災を機に再構築が始まった。「災害医療を考察できる初めての災害だった。東日本大震災で机上の理論が通用するかどうか分かった」と中野院長は捉える。その後、洗い出された課題の改善が図られた。

 課題の一つがドクターヘリの出動基準の明確化だ。東日本大震災の当時、全国に26機が配備されていたが、隣県のヘリが待機する一方、遠くは九州から駆けつける状況もあった。

 改善策として、出動時のルールを明確にした。東日本級の広域災害では、まず被災の中心地から半径300キロ圏内のヘリが参集する。北関東3県の場合、被災地に向かうヘリと、地元に残るヘリに役割を分担する。前橋日赤がその指揮を執ることになっている。

 出動基準の明確化を含め、東日本大震災から災害医療が得た知見は多い。だが、それらが万能ということはない。中野院長は「内容は充実したが、次の大災害まで机上の理論に過ぎない。必ず課題は出てくる」と語る。

 建物の倒壊による外傷が中心だった阪神大震災に対し、低体温症や感染症が目立ったのが東日本大震災だった。基礎疾患がありながら遠隔地への避難を強いられる原発事故も起きた。災害ごとに様相は異なる。だがどんな状況下でも、救える命と守るべき健康がある。非常時の医療の備えに終わりはない。

◎病院前救護建物に備え

 東日本大震災の発生直後、災害拠点病院の石巻赤十字病院(宮城県)には大勢の被災者が押し寄せた。診療を継続できた病院はわずかで、ロビーにもあふれた。この状況に対し、玄関前にテントを設け、緊急性が低い軽症の人を診た。

 前橋赤十字病院の中野実院長は「それまでの災害医療で推奨されていたわけではない」と明かす。病院前救護所と呼ばれ、前例はなかったが後に好例とされた。2018年に新築移転した前橋赤十字病院の備えにも取り入れられた。

 前橋日赤の玄関前は普段、送迎車やバスが通るが、歩道部分との段差はほとんどない。庇の高さや幅、長さを一般的なもの以上に取り、大規模災害時にはテントを並べられるように設計された。東日本大震災での災害対応が病院建築の細部にも生かされている。

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