《NEWSインサイド》安中・碓氷峠の廃線活用 イベント開催でにぎわい創出を 「鉄路の歴史」後世に伝承を模索
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軽井沢に向けて横川駅を出発する最終列車。別れを惜しむ鉄道ファンや報道陣でにぎわう中、運転士らに花束が贈られた=1997年9月30日
 碓氷線の歴史が学べる「廃線ウォーク」=昨年9月

 鉄道は日本の近代化を支える交通インフラとして各地で整備され、経済成長とともに発展してきた。だが、歳月の流れとともに役目を終え、姿を消した路線は少なくない。旧JR信越本線の横川―軽井沢間(通称・碓氷線)も廃線から23年が経過し、人々の記憶から薄れつつあるのが現状だ。碓氷峠の鉄路の歴史を後世に伝えようと、群馬県の安中市観光機構は同区間の廃線跡を歩くイベント「廃線ウォーク」などを開催して魅力を発信する。(井部友太)

■運行拠点

 1997年9月30日、国内最大級の急勾配を抱える碓氷線は廃止され、104年の歴史に幕を閉じた。長野新幹線(北陸新幹線)の開業に伴う廃線だった。運行最終日のJR横川駅ホームには多くの鉄道ファンや報道陣が押し寄せ、最後の車両が出発する様子を見守った。

 「さよなら峠越え 信越線横川―軽井沢に最後の汽笛 104年の歴史に幕 満員のファン乗せ」。翌日付の本紙は、運転士や街の人の声を載せて別れの日の横川駅を大きく報じた。

 かつては運行拠点となる運転区や職員宿舎などがあり、「鉄道の町」とも呼ばれた横川。地域全体がにぎわったが、次第に鉄道関係者やその家族が離れ、人口減少や高齢化が進んだ。元国鉄職員で機関士も務めた上原芳徳さん(87)=安中市=は「横川駅を中心に病院や職員用の購買などがあり、当時はもっとにぎやかだった」と振り返る。

■全国からファン

 20年以上も放置されていた廃線後の信越本線を整備し、同機構が廃線ウォークを開始したのは2018年。長く活用できずにいた廃線に全国各地から鉄道ファンらが集まり、これまでに約2900人が訪れた。地域の活力を生み出す行事を表彰する20年度の「第25回ふるさとイベント大賞」(地域活性化センター主催)で優秀賞も受賞した。

 廃線跡を活用し、横川と軽井沢間をつなぐ「レールカート」や「レールバイク」などの運行計画も浮上している。一度は埋もれた地域の歴史だが、同市の観光資源として再び脚光を浴びている。

■峠の鉄道守った歴史

 関所が置かれ、古くから交通の要衝として知られた碓氷峠。勾配がきついことから人の往来や物資輸送が難しく、「中山道の難所」ともいわれた。

 1893(明治26)年の鉄道開通の際には、当時の技術の粋と英知が注ぎ込まれた。鉄路の建設や機関車の整備などに多くの人が携わり、峠の鉄道を守ってきた歴史がある。安中市観光機構の上原将太さん(29)は「峠の鉄道の歴史は人の歴史だった」と強調する。

■若い世代

 往事を知る元機関士らが高齢化する一方で、若い世代が地域の歴史を伝承するなど奮闘している。上原さんもその一人だ。同市出身で大学卒業後に都内の印刷会社で働いたが、2018年に帰郷。廃線ウォークのガイドを務め、旧JR信越本線横川―軽井沢間(碓氷線)の歴史や魅力を発信する。

 最近では廃線前の映像を集め、元国鉄職員から聞き取る作業を行った。当時の記憶を伝える動画を作成し、上映会に向けての準備を進める。上原さんは「碓氷線の歴史を語り継いでいくことが大切。廃線ウォークを通じて、鉄路に携わった人の思いなども発信していく」と話す。

 「昔のにぎわいを思い出してほしい」―。そんな思いから、同市の地域おこし協力隊だった後藤圭介さん(26)は同区間で機関車が走っていたころの写真などを集め、デジタル化する作業に取り組んだ。

■中心的役割

 碓氷線の歴史を伝える中心的な役割を担うのが、同市松井田町横川の鉄道テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」。峠越えで活躍した電気機関車「EF63(ロクサン)」が動態展示され、鉄道ファンに根強い人気があるものの、入園者数の減少が課題となっている。

 状況を改善しようと、同施設を運営する碓氷峠交流記念財団や市などは昨年1月、有識者による「碓氷峠鉄道文化むらを10倍楽しむ会」を発足させた。県内外の企業や団体に所属する委員が誘客策を模索。開園時間を延長してライトアップしたり、屋外展示スペースでキャンプを楽しんでもらったりと、新たな取り組みの検討を重ね、挑戦を続けている。

 同施設の理念は、険しい峠を越えて日本の近代化を支えた鉄路の歴史を伝えること。同財団の中島吉久理事長(70)は「設立当時の理念を守っていくとともに、飽きられないためのアイデアを出していきたい」と意気込む。

 碓氷線 1893(明治26)年に開通。標高差約550メートルの急勾配を走るため、機関車の歯車とレールの凹凸をかみあわせて走る「アプト式」や、専用の機関車「EF63」が客車を押し上げる方式が採用された。旧線の一部は遊歩道「アプトの道」として整備された。

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