大久保は問う~女性連続殺人から50年(1)怨嗟 遺族「思い出したくない」 半世紀経てなおやり場ない無念
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現場検証に立ち会う大久保元死刑囚(左から3人目)=1971年5月、旧榛名町
 

 黄色い菜の花が道端で揺れていた。今年3月下旬、赤城山が裾野まで望める群馬県の県央地域の田園地帯。一角で暮らす住民の一人は、1週間ほど前に申し込んだ取材について返事をくれた。

 「…『話したくない』っていうんだよ。母親が死ぬまで『悔しい』って言っていたものだから。ごめんなさいね」

 住民の家族は、身内の女性=当時(18)=を一人の男に殺された。もう半世紀前のことになる。

 男の名は大久保清。1971年春、旧新町、旧新里村、高崎、伊勢崎、前橋、藤岡各市の女性計8人(当時16~21歳)を、41日間で殺害した元死刑囚=76年執行、当時(41)=だ。この3月末で、1人目への犯行からちょうど50年たった。

 事件の発覚時、被害者がこれほど広域の複数人にわたるとは、誰も想像できなかったかもしれない。

 71年5月14日。藤岡署は大久保元死刑囚を逮捕した。女性=当時(21)=を誘拐した容疑だった。

 「モデルになって」。派手なシャツにベレー帽。画家を称し、女性に繰り返し声を掛けた。まだ愛車が珍しかった時代に、乗用車の「マツダ ロータリークーペ」を乗り回した。

 県警は数日後、大久保元死刑囚を別の女性を乱暴した容疑で再逮捕。旧倉渕村一帯を山狩りしたり、玉村町の利根川周辺を捜索したが、当初の逮捕容疑とした女性の行方は分からなかった。

 防犯カメラやドライブレコーダーは当然なく、犯行の「足」は、市民の証言などからしかたどれない。大久保元死刑囚の供述が変遷し続けたことも、捜査がかく乱された要因だったとされる。

 事件が展開したのは、初めの逮捕から約10日後のことだった。

 〈今月上旬、車のナンバーを隠すように、大久保元死刑囚らしい男がスコップを持って立っていた〉。こうした目撃情報を基に県警は榛名湖の近くを捜索、土の中から女性=当時(17)=の遺体を見つけ、捜査本部を立ち上げた。

 大久保元死刑囚は女性を乱暴した容疑については供述したり、現場検証に素直に立ち会ったりした。半面、誘拐や殺人などの容疑に関しては、かわすばかりだった。

 事件は連日、繰り返し報道された。県警には段階的に、行方不明となっている県内の若い女性の情報が寄せられるようになった。

 渦中の当事者たちは、どんな心境だったのか。

 今年3月下旬、東毛地域。桜の木の近くで子どもが遊んでいた。近くに暮らし、当時19歳だった女性を殺害された遺族に取材を申し込んだ。趣旨や目的をうなずきながら聞くと、はっきりとした口調で答えた。

 「思い出したくないのでお断りします」

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 日本社会を戦慄せんりつさせた女性連続殺人事件から半世紀。県警の取調官をはじめ関係者の多くは既に世を去り、記憶の風化も著しいが、遺族は今なおやり場のない怨嗟えんさを抱える。女性などを狙う底無しの悪意は現代でも時に闇から牙をむく。事件は今に、何を問う。

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