大久保は問う~女性連続殺人から50年(2)翻弄 否認、うそ…核心遠く
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妙義山を望める安中市松井田町。右手の旧松井田署が、かつて大久保元死刑囚の勾留場所となった=3月下旬

 「まだ暗くなる前だったかな。出てきたのは」

 高山勝さん(80)=前橋市関根町=は3月中旬、群馬県の榛名湖の近くで土の中にあった遺体を掘り起こした時の光景を思い出した。高崎署捜査課係長として現場に急行したと記憶する。1971年5月のことだった。

 遺体は当時17歳だった女性。大久保清元死刑囚=76年執行、当時(41)=に殺され、遺棄された。

 大久保元死刑囚は8人の女性(当時16~21歳)を71年3~5月に殺害した。高山さんが立ち会った発掘で見つかったのは、最初の遺体だった。深さは他の場所に埋められていた被害者よりも浅かったように覚えている。実況見分には無数のマスコミが押し寄せた。

 この発見が、誘拐や乱暴をした疑いで逮捕された大久保元死刑囚を、殺人容疑で本格的に立件する転機になると思われた。そうした捜査機関側などの思惑に反し、事件の全容を解明するにはしばらく時間がかかった。残る7人の発見には、同年7月末まで費やした。

 妙義山麓、高崎市の工業団地周辺、下仁田町のコンニャクイモ畑。遺体は各地に埋められていた。皮肉なことに、県警にとってはこの際の遺体発掘の経験が、71年から72年にかけて県内で起きた「連合赤軍」の殺人事件で生きたとされる。

 大久保元死刑囚の捜査はなぜ困難だったのか。

 否認、うそ。「余分なことは話すが、核心はうたわない。決してばかじゃないが、(人間としての)センターが狂っていた」(高山さん)。そうした容疑者との駆け引きに、翻弄ほんろうされ続けたのだとされる。

 〈大久保(元死刑囚)のウソつき、ホラ吹きは一流だったが、弁舌さわやかという点でも類を見ない犯罪者だった〉〈早く遺体を出して家族にお返ししたかったが、焦る気持ちを読み取られては負けで、神経を使った〉…。捜査段階で100日間ほど向き合った県警の取調官(故人)は、後に述懐している。

 大久保元死刑囚は当初、藤岡署に逮捕された。71年7月中旬まで前橋署に勾留されていたが、それから同年8月下旬までは当時の松井田署(今の安中署松井田交番)に身柄が移された。

 妙義山が一望できる閑静な場所。勾留先をここに変えたのは、大久保元死刑囚の良心に訴える県警の苦肉の策だった。すぐ隣の補陀寺では、住民が心に響けと鐘を鳴らした。「たくさんの記者が来た。2社くらいに電話を貸したな」。近所の細矢栄吉さん(90)は半世紀前を振り返った。

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