渋沢栄一の書“復活” 利根沼田とつながり示す  みなかみ・塩原太助記念碑に揮毫
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修復された渋沢揮毫の書

 日本資本主義の父と呼ばれる実業家、渋沢栄一(1840~1931年)が、塩原太助翁記念公園(群馬県みなかみ町)の記念碑のために揮毫した書が修復され、隣接する塩原太助記念館で公開が始まった。新1万円札の肖像に決まり、放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」のモデルとしても注目を集める渋沢。記念館は「渋沢と利根沼田のつながりを示す貴重な書。ぜひ見てほしい」と呼び掛けている。

 書は長さ約5メートル、幅約2メートル。和紙に「塩原太助翁之碑」「子爵渋沢栄一書」と墨で書かれている。記念碑の建立を主導した地元の有力者が渋沢に揮毫を依頼。渋沢は1925年、85歳で書を仕上げ、これを基に記念碑が作られたという。

 2015年、記念公園や記念館がある「太助の郷」の永井介嗣館長(73)が、園内の宝物庫を整理した際に偶然見つけた。宝物庫を管理する塩原太助遺跡保存会や太助の子孫も、存在を知らなかったという。

 書はほこりや染みで茶色く変色し、虫食いも目立っていた。保存会は修復に町の補助金を活用。文化財修復などを手掛ける「アイディ・タナカ」(東京都中野区)に依頼し、職人たちが3カ月かけて作業した。和紙の補修には、町内の道の駅たくみの里で作られている「こうぞ紙」を使った。

 同社会長で東京都伝統工芸士、田中正武さん(79)は「現在の紙幣に使われている良い和紙だったため、この程度の劣化で済んだ」と語る。

 富は社会で共有すべきだとする「道徳経済合一」を唱えた渋沢は、公益事業に私財を投じた太助に強く共感したと伝えられている。永井館長は「渋沢が石碑のために揮毫した書は珍しい。生涯や功績を見つめ直し、みなかみとの縁についても思いをはせてもらえれば」と話している。
(堀口純)

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