《ぐんま令和の群像》高崎ゆかりの人物列伝
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樋口裕希(右)(C)Blazers sports club
金子三勇士(C)Ayako Yamamoto
林家つる子

 県外へ飛び出したり、出身地を拠点にしたりして大勢の“群馬県民”が各界で活躍している。経済、芸術・文化、学術、スポーツ、芸能など幅広い分野を対象に、地域別にシリーズで紹介していく。(敬称略)

◎スポーツ―競技打ち込む環境充実

 複数の五輪選手やプロスポーツ選手が誕生している高崎市。近年は高崎アリーナやソフトボール専用の宇津木スタジアム、21面を誇る清水善造メモリアルテニスコートなどの施設整備が続いた。競技環境の充実もあり、将来のオリンピアンの登場にも期待が高まる。

 3月30、31の両日に県内を通過した聖火リレーは、多くの五輪選手が沿道を沸かせた。競泳で北京(2008年)に出場した内田翔(33)もその一人。引退後は所属企業に勤め、現在は市職員として働く。スランプを経てつかんだ北京と代表を逃したロンドン(12年)を踏まえ、「夢が人生をつくる」「やって後悔した方がいい」などと講演で子どもたちに伝える。

 息の長い活躍ぶりから内田が「尊敬に値する」と話すのが、2学年上でオープンウオータースイミング(OWS)の貴田裕美(35)。競泳から転向したOWSで3大会連続となる東京五輪出場を目指す。出身は埼玉県だが、小中高は高崎市内に通った。

 青木虹光(にこ)(15)は2人に続く水泳界期待の星だ。2月の競泳ジャパン・オープンで女子自由形1500メートルの日本中学新記録を出して3位入賞。6日の日本選手権でも県高校新のタイムで3位に入った。五輪選手は夢ではなく「目標。水泳をやっている中で一番上が五輪。そこに向けて頑張りたい」と話す。24年パリがターゲットだ。

 バレーボールで五輪の舞台に近いのが樋口裕希(24)だろう。高崎高から筑波大へ進み、現在はVリーグの堺ブレイザーズでプレーする。19、20年と日本代表入りした。堺入り後、ミドルブロッカー(MB)からアウトサイドヒッター(OH)にポジションを変更。「日本代表に入って世界で戦いたい。190センチだとMBではサイズが小さい。戦えるのはOH」と考えて志願した。

 パリ大会での活躍を思い描き、「武器のブロックとサーブを伸ばし、OHとして点の取り方のバリエーションを増やしたい」と意気込む。「自分で考える力がついた」という高校時代は大きな財産だという。

 カヌーの佐復(旧姓中里)晴美(58)はカヤックペアでソウル(1988年)に出場した。有力選手を次々と育てた群女短附高(現健大高崎高)の出身で、「高校の時のきつい練習や合宿を思い出す」と振り返る。競技を離れ、今は市内で主婦生活を送る。

 父母に続いて五輪選手になった体操の相原豊(50)はバルセロナ(92年)で団体銅メダルを獲得。現在は市内の相原体操クラブで後進を育てる。ソフトボールのビックカメラ高崎、太陽誘電の本拠地もあり、他にも市に関係する五輪選手は少なくない。

 プロスポーツに目を転じると、総合格闘技RIZINバンタム級王者の堀口恭司(30)がいる。吉井インター近くの国道沿いに「誕生の地」との看板が立つ地元の英雄だ。ヤクルトから育成ドラフト1位で指名された下慎之介(18)らプロ野球やJリーグにも市出身選手が進んでいる。
(米原守)

◎音楽―多彩な才能が世界で輝く

 群馬交響楽団の拠点があり、「音楽のある街」として知られる高崎市からは数々の逸材が世界に羽ばたいている。新型コロナウイルス感染拡大で、コンサートなど多くのイベントが影響を受ける中、市出身の音楽関係者はさまざまな工夫をしながら、文化の継承と発展に取り組む。

 ピアニストの金子三勇士(みゆじ)(31)は、2008年にハンガリーで開かれたバルトーク国際ピアノコンクールで優勝するなど国内外で活躍する。6歳で母親の母国のハンガリーに渡って音楽を学び、16歳で帰国。東京音楽大大学院を修了した

 出身地である高崎への思いは強い。市内の企業と共に、同国のコンクールへの出場機会を優秀な奏者に提供する事業に取り組んでいる。群響が本年度、県内全小中学校に配るDVDにも出演。昨年は出演予定の公演が中止になることもあったが、「コロナ禍でも音楽を届ける方法はある」と話す。

 多くの声楽家も輩出している。バリトンの泉良平(51)は昨年8月、日本オペラ振興会が主催したオペラ「カルメン」に出演。フェースシールドを着け、可動式の仕切りを立てるなどしていち早く舞台を再開させた。「多くのお客さまが待っていてくれたことに感激した」と振り返る。中止や延期となった企画も再始動し、今年は新作オペラや佐渡裕が指揮する作品など3公演を控えている。

 ソプラノの大山亜紀子は、7月に都内で予定される二期会創立70周年記念のオペラ公演「ファルスタッフ」に出演する。オーディションで選ばれ、「(コロナの影響下で)歌えるのはありがたい」と意気込む。長年続ける安中市松井田町での合唱指導も感染対策を徹底して再開した。

 昨年、国立音楽大教授に就いたソプラノの本島阿佐子の活動は幅広い。欧州で学んだ声楽に加え、米ニューヨークでの留学経験を生かしてミュージカルコースも担当する。近年はジャズピアニストの山下洋輔との童謡や、作曲家の武満徹のポップソングを歌ったCDをそれぞれ発売。2人組ユニット「フォンテーヌ」で県内の名湯について歌うCDを製作中だ。

 本島と同級生で、小中高大と同じ学校で学んだ東野珠実は雅楽の伝統管楽器「笙(しょう)」の奏者。10年には本島と共同でCDを製作している。昨年は国立劇場とIT企業の共同企画で、雅楽とオーケストラが共演するVR(仮想現実)映像をインターネットで配信するなど挑戦を続ける。2月には国立劇場で歌舞伎の尾上菊之助と共演した。

 チェンバロ奏者の大木和音は、01年にベルギーで開かれた第38回ブルージュ国際古楽コンクールで、特別賞のディプロマを受賞。9月に高崎芸術劇場でコンサートを予定する。

 ロック、ポップスの世界でも人材が輝く。ギタリストの布袋寅泰(59)は世界で活躍しつつも故郷に熱い思いを抱く。昨年完成した県コンベンション施設「Gメッセ群馬」にテーマ曲を提供。歴代の愛用ギター40本を紹介する企画展も開かれた。作曲家の多胡邦夫(47)は浜崎あゆみら著名なアーティストに楽曲を提供。14年から市営のプロ専用録音スタジオ「TAGO STUDIO TAKASAKI」を運営する。
(真尾敦)

◎先駆者―先見性や進取の気風体現

 高崎市は古くから交通の要衝として栄え、人々が行き交う場となってきた。1967年に国内第1号の卸商業団地として「高崎問屋街」が誕生したり、商工会議所の前身に当たる組織が県内で最初にできたりと、先見性や進取の気風に富むとされる。そんな風土は文化・芸能、出版、医学界などさまざまな分野で先駆者、挑戦者を育んできた。

 「やりたいことを見つけたら突き進め」―。そうした母からの後押しも受け、林家つる子(33)は中央大から落語界に入った。女性落語家の先達はいたとはいえ、まだ少数派。「落語を突き詰めたい思いが強くなった。夢中になれることに挑戦したい」と伝統芸能の世界に飛び込んだ。

 現在は二ツ目で、真打ちを目指す。古典落語の名作「芝浜」の主人公を、女性であるおかみさんにした話につくり替えることを試みた。伝統を守り、伝えるとともに「女性だからできること」にも挑む。

 師匠の林家正蔵からもらった名は「つる子」。てっきり「鶴舞う形の~」が由来と思ったら、「ツルッとしているから」だとか。県民には郷土愛の強さを感じる一方、発信力が弱いと残念がる。「微力ながら魅力を発信したい」と、群馬の応援団を自認する。

 移住定住策を論じる上で近年、「関係人口」がキーワードの一つとなっている。観光以上移住未満の“第3の人口”を意味し、雑誌ソトコト編集長の指出一正(51)が提唱した考え方だ。

 移住に伴う「定住人口」とも、観光に訪れた「交流人口」とも違い、地域の人との多様な関わりを楽しむ人々を指す。週末などに地域の人と一緒に時間を過ごし、農業をしたり、まちづくりに関わったり…。地域の変化、未来をつくり出すような若者が地方と関係し始めているという。

 少子高齢化や過疎化に悩む自治体に対し「自分の住む地域で暮らすことが幸せで豊かなためには、その地域を好きな人を増やすこと」とヒントをくれた。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「わくわく地方生活実現会議」委員を務めるほか、関係人口の切り口から自治体とも多数の取り組みをしている。

 県民をはじめ、世界中の生活に重くのしかかる新型コロナウイルス感染症。市内の小児科医院長の釜萢敏(67)は日本医師会常任理事で、政府の新型コロナ対策分科会のメンバーを務め、困難と戦う最前線に立っている。

 「決して侮ることはできず、かかりたくない病気。周りの方のためにも基本的な感染予防対策をいつも心掛けてほしい」と話す。マスク着用、手指消毒、人との距離の確保、換気といった対策の徹底を訴える。

 世界最高峰のパン作りの大会で優勝した大沢秀一(35)は昨年8月、東京都世田谷区に出店した。2018年2月に市内の喫茶店敷地内にプレハブを構えてパン店を開業。腕を磨いてつかんだ世界一の実力を引っ提げ、激戦区の都内で挑戦を始めた。

 市美術館の学芸員だった小川里枝はチェコの藍染めを輸入し、国内でデザイン、縫製して販売している。同国の藍染めは国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にもなったが、工房が減り、操業しているのは2軒しかないという。「日本人の琴線にも触れる」と知名度向上に努める。同国で行われた徳島県の高校生による海外研修をコーディネートするなど活動の幅を広げている。

 怒りの感情とどう付き合うかを体系化したアンガーマネジメントの国内第一人者、安藤俊介(49)は、日本アンガーマネジメント協会の代表理事を務め、著書も四十数冊に上る。「自分の優先順位を決めることが大切。関わりたいこと、関わらなくていいことの線引きを」とアドバイスをしている。
(米原守)

◎市民の力―人つなぎ催し全国級

 高崎市の夏の風物詩、高崎まつり。オイルショックで1975年、旧来のまつり開催を行政が断念する中、市民が立ち上がり、市民主導の新たな形で再スタートした。今も青年団体などが実行委員会を作って運営し、「高崎方式」と呼ばれる。高崎まつりと同様にさまざまなイベントが市民の力で展開され、まちを元気にしている。

 投票でパスタ店ナンバーワンを決めるキングオブパスタは、「パスタのまち高崎」を代表するイベントになっている。今秋に13回目となる開催を予定するが、元々は高崎まつりの一環として企画された。

 仕掛けたのは、高崎まつり実行委員会の一員だった青島真一(45)。当初は高崎とパスタが結び付かない人がほとんどで反対されたが、今ではテレビでも取り上げられるなどしてすっかり定着した。「市民を巻き込むことをないがしろにしてはいけない」と話し、イベントの実行委員長として準備を進める。

 たかさき雷舞フェスティバルも高崎まつり発のイベントだ。よさこいをにぎやかに、時に激しく踊る。

 発案者で、現在は同フェス実行委員会顧問の矢嶋真(57)は岐阜市出身。「群馬ならでは、高崎ならではのものに対する思い入れが強い」という市民性を感じ、上州名物とされる雷と踊りの舞い、ライブを重ねて「雷舞」とした。台風19号、新型コロナウイルス感染拡大で中止が2年続いており、「(今年は)何とか踊らせたい」と願う。

 高崎映画祭、高崎マーチングフェスティバルは市民やボランティアが運営の中心になり、全国的にも有名な芸術の祭典に育った。

 志尾睦子(46)は映画祭でプロデューサーを務めるほか、映画館「シネマテークたかさき」総支配人などとして映画文化を守る。「多くの人に(映画や映画館が)当たり前にそこにあってほしいと思っていただいていると再認識した」と話す。

 映画祭は昨年、無観客で授賞式を行い、映画の上映は中止。今春は開催を見送り、来年35回目の節目を予定している。

 高崎青年会議所での地域活動などが縁で、マーチングフェスティバルに10年以上関わってきた本木毅(53)は今月、フェスの4代目実行委員長に就く。フェスは当日のイベントだけでなく、事前に開く子ども向けの講習会にも力を入れており、「思いやりや積極性を伸ばす人間形成のプログラムになっている」と説明する。

 旧市庁舎跡地のもてなし広場を会場とする「高崎人情市」。関口真作(74)が理事長を務めるNPO法人高崎やる気堂が「人と時代をおもてなし」をスローガンに取り組む。月1回のペースで飲食販売やフリーマーケット、イベントなどを組み合わせて行い、開催は230回超を数える。

NPO法人時をつむぐ会は、27回目となる「たかさき絵本フェスティバル」を2月に開いた。代表の続木美和子(70)は「“絵の力”が子どもには分かる」と原画展示などを通じ、絵本の魅力を伝え続ける。

NPO法人鼻高町をきれいにする会の理事長、戸塚実(82)ら地域の住民は約20年前から放置された桑畑を「鼻高展望花の丘」として整備。県内外から観光客が訪れるようになった。

 市役所に近い群馬音楽センターの碑には「昭和三十六年ときの高崎市民之を建つ」と刻まれている。市民の熱意が多額の寄付にもつながり、完成したことを誇る。その精神は脈々と息づいているようだ。
(米原守)

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