高崎の音楽センター 設計図や施工映像、市内で保管を確認 つち音伝える貴重資料
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群馬音楽センター建設当時の資料を見る大冢さん

 チェコ出身の世界的建築家、アントニン・レーモンド(1888~1976年)が設計し、1961年に完成した群馬県高崎市の群馬音楽センター建設当時の設計図や工事仕様書、施工状況を撮影した8ミリフィルム、写真などの資料が大量に保管されていることが17日、分かった。建設に当たった井上工業関係者らが残した資料で、同市八千代町の大冢義樹さん(70)に託されていた。市が所有する建設当時の資料は数少ないとみられ、市民らが多くの浄財を寄せて造られたセンターの歴史を伝える貴重な資料。センターは18日、完成から60周年を迎える。

  センターは地元の実業家、井上房一郎(故人)らを中心に群馬交響楽団の拠点として建設の機運が高まり、市民からの3000万円を超える募金などを元に造られた。「音楽のある街高崎」のシンボル的な存在の一つになっている。

 保管されている資料は九十数枚の設計図に加え、工事仕様書や8ミリフィルムなど。映像では作業の様子が確認でき、フィルムの箱に「ロビー庇配筋配管」「鉄筋ガス圧接」などのメモが記されている。これらは井上工業(2008年破産)の関係者が所有していた。

 このほか、当時現場を取り仕切り、後に副社長を務めた川野勇さん(故人)が撮りためた写真や、コンクリートに関する研究・実験データも残っている。

 保管を託された大冢さんは1級建築士で元市建設部長。在職時から建築確認などで井上工業関係者を知っていた。退職後に立ち上げ、会長を務める「ぐんま街・人・建築顕彰会」の活動を通じ、川野さんの息子で元井上工業副社長の純一さん(故人)との交流を深めた。

 こうした経緯から、資料の散逸を懸念する会社関係者や純一さんから個人的に保管を託された。資料の整理は十分に進んでいないが、良好な状態だという。

 大冢さんは「著名な建築家の設計という希少性だけでなく、造られた経緯の希少性も高い」と話し、今後、遺族や関係者とも協議し、市に寄託や寄贈することも検討する。

 元井上工業社長の清水幹雄さん(85)=同市江木町=は「当時の資料は私も持っていない。唯一で貴重な物だろう。高崎市に対する房一郎の功績を改めて知ってもらえたら」と話した。(米原守)

 【群馬音楽センター】群馬交響楽団の草創期を描いた映画「ここに泉あり」を機に建設の機運が高まり、1961年7月に完成。建設費の約3分の1を市民らの浄財で賄ったとされ、「昭和三十六年 ときの高崎市民之を建つ」の碑が残る。

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