《届け!エール 東京パラ》力を尽くしメダルを 柔道・永井崇匡選手を中之条の道場で指導 塚田純次さん、柴田純源さん 
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永井選手に柔道の基本を教えてきた(左から)塚田さん、柴田さん

 視覚障害者柔道の男子73キロ級に出場する永井崇匡選手(26)=学習院大職=が、故郷の群馬県中之条町に帰省するたびに訪れるのが林昌寺道場だ。ここで小学生の時から指導する塚田純次さん(46)と柴田純源さん(43)は「悔いのないようにベストを尽くして」とエールを送る。

 同道場は永井選手が柔道を始めた思い出の場所。2歳の頃に目が見えなくなり、小学生になった時に両親が「体を動かせる場所に」と勧めたのが柔道だった。小学生の時は他の児童と同様に週3回通っていたという。永井選手を支えてきた塚田さんと柴田さんは「他の小学生と比べて集中力がすごかった。努力型で力を付けていった」と振り返る。健常者も含めた地元の大会で優勝できずに悔しがっていた姿も印象に残っている。

 中学からは東京都内の筑波大付属視覚特別支援学校中等部・高等部で学んでいた。週末など実家で過ごす際に、稽古に訪れていた。柴田さんは「ここに来ると何か得られると思って来ていたのではないか。高校3年くらいになると、本気で相手をしないと負ける。身体能力も高くなった」と成長ぶりを感じていた。

 大学は学習院大に進学。2015、16年の全日本視覚障害者柔道大会で連覇し注目の選手となった。国際大会にも出場するようになったが、なかなか勝ち進めなかった頃、アドバイスをもらうために訪れたのが同道場だった。その時のことを、塚田さんは「力が強いので、それに頼った柔道をしていた。力みすぎないようにする手首の使い方や、気付いたことを伝えた」と説明する。永井選手は素直にさまざまな意見を聞き入れていたという。

 手本を見せることができないため、実際に相手に触れながら技術を伝える必要がある。対戦相手となる同じ体形の人に協力してもらい、永井選手は納得いくまで技を体に覚えさせていた。

 組んだ状態から試合開始となる視覚障害者柔道のルール以外で、同道場では健常者と同じ扱いをしてきた。指導者たちは、目が見えないことを忘れる時もあるほどだったという。「実力以上の力は出せない。ベストを尽くした結果、メダルがついてくれば」。塚田さん、柴田さんの2人は強く願っている。(関坂典生)

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