オウム死刑囚 刑執行 教団進出の地元関係者が当時に思いはせる
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 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による一連の事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した松本智津夫死刑囚(63)=教祖名麻原彰晃=ら7人の刑が執行された6日、信者転入問題などに対応した群馬県内の関係者は「驚いた」「執行は遅すぎる」などさまざまに受け止めた。1995年3月の教団への強制捜査から23年余り。刑の執行までに時間がかかったことを受けて、事件の遺族を思いやる声もあった。

◎藤岡では一時全国最大拠点に

 教団は事件前後に高崎、藤岡、長野原など4カ所に進出。不安を募らせた住民は反対運動に取り組み、大きなうねりとなった。

 一時は100人以上の信者が生活し、全国最大規模の拠点でもあった藤岡市下栗須の元印刷会社跡地の施設。当時、地域の区長だった沢入寛さん(85)は刑の執行について「遺族の苦しみを考えるとあまりに長い」と思いを口にした。区長時代は地域住民の不安を解消しようと信者とも対話を重ねたといい、「刑を受けた人は悪いことをしたので執行は当然だ。ただ、藤岡にいた信者は普通の人だった」と振り返った。同市にあった別の拠点施設は現在、建屋を活用した教育施設になっている。当時を知る男性は「死刑は当然。遅すぎだ」と語気を強めた。

 高崎市倉賀野町には教団の高崎支部道場が開設されていた。道場の近くに住んでいた男性(82)は「白装束を着た男女や子ども数十人が並んで歩くのをよく見掛けた」と説明する。地下鉄サリン事件後の家宅捜索時は周辺に機動隊員が並んだり、多くの報道陣が詰めかけたりして、物々しい雰囲気だったという。「刑の執行はニュースで知り、驚いた。判決確定から執行までは長いと感じた」と話した。

 教団は国内で初の大規模で、無差別のテロ事件を起こした。県警の元警備部長で、当時、オウム真理教総合対策室に所属していた増村悟樹さん(62)は「住民の不安を解消することが重要だった」と強調する。長野原町の教団施設に立ち入った際は防護服と防毒マスクを初めて着用したと説明し、「施設に何があるか分からなかったので、異変を見分けるために鳥も連れて行った。こんな対応が必要な時代が来たのかと強く実感した」と社会を震撼しんかんさせた事件を振り返った。

◎「アレフ」ビラ 高崎で2枚 連絡先は取材に「無関係」

 6日午前7時半ごろ、高崎市上豊岡町の国道18号脇にある国管理駐車スペースで、オウム真理教の後継団体「アレフ」への入信を勧誘するような、手書きとみられるビラが落ちているのを市内の男性(76)が見つけた。

 男性によると、ビラは2枚落ちていた。入信すれば現金50万円を提供したり、住居を確保するような表現があり、連絡先として電話番号が記されていた。上毛新聞がこの連絡先に取材したところ、「アレフとは無関係」と回答した。

 男性は高崎署にビラの回収を求めた。男性は「家に帰ったら、松本智津夫死刑囚の刑が執行されたと聞いたので驚いた」と話した。

 
《県内などのオウム真理教関連事案》

 1984年   松本智津夫死刑囚がオウム神仙の会を設立。後にオウム真理教に改称
  89年11月 坂本弁護士一家殺害事件
  92年7月 高崎市に教団の高崎支部道場が設立
  94年12月 長野原町に教団の関連施設が設立
    6月 松本サリン事件
  95年3月 地下鉄サリン事件
    4月 警視庁が教団の高崎支部道場を家宅捜索
    5月 松本死刑囚逮捕
    6月 県議会が教団の解散を求める意見書を全会一致で可決
    7月 教団が密造していた自動小銃を警視庁が草木ダム(みどり市)で捜索、発見
    10月 目黒公証役場の事務長が監禁、殺害された事件で、県警が前橋市内に潜伏していた教団幹部の男性を逮捕
  98年5月 旧子持村(現渋川市)の民家に複数の信者が移住
  99年8月 藤岡市への教団信者転入問題が発覚
    10月 藤岡市で市民3000人規模の抗議集会
 2000年1月 アレフに改称
    10月 県内の教団活動拠点の撤退が完了
  06年9月 松本死刑囚の死刑確定
  11年11月 教団の死刑確定者が計13人に
  18年7月 松本死刑囚ら7人の刑執行

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