幕末の台風ルート復元 帝京大チーム、群馬県重文の日記参考 当時の風向き、防災に生かせ
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「安政風聞集」に描かれた現在の東京都江東区付近が浸水している様子(国立公文書館提供) 
幕末の日常生活や当時の世相などが詳細に記されている「三右衛門日記」。全29冊に及ぶ
 

 幕末の1856年9月(安政3年8月)、関東や東海各地に大規模な高潮被害をもたらした「安政江戸台風」が通ったルートを各地の古文書から復元することに、帝京大の平野淳平准教授(37)らのチームが成功した。分析に用いたのは群馬県重要文化財「三右衛門日記」など10カ所の計10点。平野准教授は「当時の風向きの変化が分かる貴重な史料」と話している。台風が抜けた後の記録を調べるなどデータを充実させ、現在の防災想定にも役立てる考えだ。

 日記をつけた渡辺三右衛門陳好(のぶよし)(1807~92年)は福島村(現群馬県玉村町福島)の名主で、玉村宿の治安を維持する寄場組合の大惣代を務めた。42(天保13)年から69(明治2)年までの約27年間、国定忠治が捕らえられて拘留された際の状況や黒船来航時の様子など、日常の出来事や当時の世相などを詳細に記述している。

 平野准教授は埼玉県内の資料館で同日記を見つけ、気候が記されている部分に注目。「大嵐丑寅夜七ツ頃カ北風ニ成る」(台風は北東風だったが午前4時ごろに北風になった)という記述を拾い出した。静岡県に滞在していた初代米国総領事・ハリスの日記など他の史料とともに台風の中心位置や進む方角を再現した。

 台風は伊豆半島の東側から相模湾、江戸に向かったと考えられていたが、実際には伊豆の西側から内陸を進んで福島県相馬市に抜けたと分かった。近代的な気象観測が始まる前の台風ルートは謎が多く、「現在の防災想定にも役立つ」としている。

 台風前年の55(安政2)年には江戸で大地震があったことから、平野准教授は「地震の被害から立ち直っていない状況で高潮のダメージを受けたのではないか。複合災害の事例として調べる価値がある」と話す。

 研究結果は、8月末にローマで開かれた欧州都市史学会で発表した。現在の防災想定に役立てるため、今後も幕末当時の台風のルートと被害の関係を明らかにしていくという。

 【安政江戸台風】
 1856年9月(安政3年8月)に襲来し、関東や東海に高潮、家屋倒壊などの被害をもたらした。東京湾での高潮は最大級と考えられている。戯作(げさく)者、新聞記者として活躍した仮名垣魯文(かながきろぶん)のルポ「安政風聞集」(57年)には、現在の東京都江東区付近が浸水している様子が描かれる。この時期は54年に東海地震と南海地震、55年の江戸地震、56年江戸台風と天災が続いた。

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