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視点オピニオン21

寺子屋修行体験 山寺で知る「少欲知足」

観音寺住職 五十木晃健
 
 日常生活の中にこそ「禅」の本質がある。沼田市にある曹洞宗石尊山観音寺は、ことしで515年の歴史を持つ静かな禅寺であり、明治時代には寺子屋を開いていた。現在住職を務める私も中学生を対象とした「寺子屋修行体験」を開いており、おもに東京やアジアなどから多くの生徒と若者が宿泊し体験している。

 修学旅行気分で訪れた生徒たちは、みな驚きの声を上げる。生徒たちにとっての「お寺」とは荘厳な伽藍(がらん)や仏像のある観光寺院だが、反して観音寺は、ガスも水道も通っておらず、風呂もテレビもないという、日本昔話に出てくるような素朴で小さな山寺だ。

 しかし何もない寺だからこそ、「大切な修行」の一つとして、日本人の心に根付く「少欲知足(しょうよくちそく)」を体験してもらえる。少欲知足とは、お釈迦(しゃか)様の教えで、必要最小限で満足する心が養われれば、自然に「ありがたい」という気持ちにもなるという意味である。生徒たちは石尊山の清水をくみ、まきを拾い、近所の農家で野菜を頂いて、慣れないながらも協力して炊事を行う。厳しい作法を守りながらの食事ではあるが、自分たちで作ったからか、心底おいしそうに、すべて残さず食べる。

 また、お経や坐禅(ざぜん)、写経・作務(清掃)など、ただひたすらに自己と向き合う貴重な「禅修行」の機会も数多く設けている。はじめて触れる禅の教えは生徒たちにとって新鮮なのか、好奇心に満ちたまなざしで、説法する私を見つめてくれる。

 なかでも何げない習慣から学んでほしい教えは「挨拶(あいさつ)」、「いただきます」、そして「ごちそうさま」である。意外かもしれないがいずれも仏教用語で、本来の意味は実に深い。「ことばを用いて相手の心に問いかける」という意味を持つ「挨拶」。米や肉、野菜などすべての命に手をあわせ感謝して食す「いただきます」。その命を無駄にすることなく日々の勤めに励むという気持ちを込めた「ごちそうさま」。いずれも日々実践できる立派な修行だ。

 生徒たちは体験を終えて帰るとき、感謝の言葉とともに、笑顔で「お寺って面白い」「また来たい」と言ってくれる。わずか2、3日の修行だが、覚えたての般若心経のなかでも耳なじみのいい「ぎゃーてーぎゃーてー」を唱えながら、寺を後にする。仏教に少しでも触れたことで、現代では忘れられつつある道徳心や素養を心に刻むことができたのではないかと思う。

 いま、お寺の役割が問われてきている。本来お寺とは仏の教えを通して人々に祈りと気づきを与え、こころに喜びの花を咲かせる場であり、地域の人たちの集まる集会所としての役割もあった。冠婚葬祭にかぎらない、こうした本来のお寺の役割を多くの人に知ってもらえることを願い、私はこの「寺子屋修行体験」を続けている。



観音寺住職 五十木晃健 沼田市下発知町

 【略歴】太田市出身。関東短期大卒。36歳の時、諸事情で全てを失い、すがる思いで仏門をたたく。厳しい修行と規律の中にも心の平安を見いだし仏の道に生きることを決意。

2015/06/24掲載
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