上毛新聞プレーバック

上州人の日銀總裁 1988(昭和63)年6月6日

待望の熟柿は落ちた、昭和三年六月日本銀行副總裁になつて以来、満七ケ年待ちあぐんだ總裁の椅子がいよいよけふ空けられて、高崎の生んだ唯一の金融財政家深井英五氏に廻つてきたのである

高崎藩士の五男に生まれた深井英五は同志社英学校を卒業後、徳富蘇峰が主宰する国民新聞社に入社、松方正義蔵相秘書官を経て日本銀行に。世界恐慌化で円滑な金融政策を取り、総裁在任中に起きた二・二六事件後の金融界の動揺に指導力を発揮した。退任後、貴族院議員、枢密院顧問官を務めた。本県出身の日銀総裁には高山村出身の澄田智がいる。