上毛新聞プレーバック

東毛農民の悩み 足尾鉱毒被害 1929(昭和4)年7月25日

待矢場兩堰の水源渡良瀬川へ去る十七日より十八日にかけて足尾銅山より鑛毒が流出せりとて沿岸は勿論兩堰関係の農民は大恐慌を來たせしが兩堰組合にても常設委員を急派して實地踏査を爲さしめたる

足尾銅山の鉱毒被害は明治初期から大きな問題となり、田中正造らが反対運動を展開した。一定の対策が取られたものの、大正、昭和初期は産銅量が増え、東毛地域で被害が広がった。記事は鉱毒流出の情報を受けた二つの堰組合の調査を掲載、「禿山見渡す限り煙毒の被害に依りて一木一草もなく(略)稲作栽培上由々敷大問題である」とつづっている。