上毛新聞プレーバック

塩原太助のお陰 旱魃知らず 1933(昭和8)年7月28日

寛政八年中一代の豪商鹽原太助は羽場十六ケ村の農民の窮状を救ひ村の富を守護する琴平宮を山腹の小高き處に祀り其の下に堤を三ツ設け之れを灌漑貯水池として以来羽場三百町歩の水田は旱魃を知らぬ

上毛かるたに「沼田城下の塩原太助」と詠まれた江戸時代の豪商。炭屋に奉公し独立、立身出世を果たした生涯が明治期に落語や歌舞伎となり、全国に知られるようになった。富豪になっても質素な生活を送り、榛名湖近くの峠に常夜灯を造るなど多額の私財を公共事業のために投じた。故郷の新治村羽場(現みなかみ町)の貯水池もその一つだった。