上毛新聞プレーバック

群馬の5美人決まる 1907(明治40)年12月8日

時事新報社が(略)日本第一美人の寫眞を募集するや我が上毛新聞社は之れに参同して群馬縣内の美人を募集することゝなり(略)漸く左の五美人を選抜して縣内美人の當選者とすることに一致したり

110年前に開かれた日本初のミスコンテスト。シカゴの新聞社が主催した世界美人コンテストの県予選として本社が写真を募集、多数の応募の中から5人が選ばれた。第1等の女性には18金ルビー真珠入り指輪が贈られた。日本代表は学習院に在籍していたが、このために退学処分となり、院長の乃木希典が縁談を斡旋するという後日談もある。