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赤城山に国立青年の家 1969(昭和44)年1月14日

十三日に行なわれた四十四年度政府予算の大臣折衝で、文部省から強い要望が出されていた“国立青年の家”の本県設置が認められた。(略)文部省は四十四年度から三年計画で建設工事に着手する

国立青年の家は本県にとって悲願だった。筑波との官庁都市誘致競争に敗れて以来、精力的な誘致運動を展開していただけに、土壇場の決定を受け記事では「福田(赳夫)蔵相の“おみやげ予算”ともいうべき逆転勝利」と表現している。全国7番目の青年の家として1971(昭和46)年4月に開設。現在は「国立赤城青少年交流の家」に名称変更している。