家業継ぎ住職へ NPB審判29年の軌跡 館林の佐々木昌信さん
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「アウト」のポーズを取る佐々木さん。はっきりした所作、平等な判定は高く評価された
見逃し三振を巡り中日・ゴメスと“つばぜり合い”を演じた時の写真を持つ佐々木さん。当時監督の故星野仙一さんから贈られた
最後の試合となった西武―日本ハム戦のセレモニーなどの写真。なじみのスポーツ紙カメラマンから贈られた

 11月の西武―日本ハム戦を最後に日本野球機構(NPB)の審判員、佐々木昌信さん(51)=館林高出身=が引退した。父の逝去により群馬県館林市内の実家、覚応かくおう寺の住職を継ぐためだった。29年間で2360試合に出場(歴代54位)。オールスターゲームや日本シリーズなど大舞台を踏み、2017年にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に派遣された。第18世住職として多忙な毎日ながら、「落ち着いたらアマチュア資格を回復し、地元で競技発展に協力したい」と語る佐々木さんの足跡を伝える。(田中暁)

◎花道 球場全体が拍手

 11月4日、メットライフドームでホームチームの西武によってセレモニーが催された。オーロラビジョンに佐々木さんが映し出された。球場全体の拍手の中、花束を受け取った。「こんなにしてもらって、いいのかな」と気恥ずかしさを覚えた。審判員になって間もないころ、先輩に言われた言葉がよみがえった。「選手も審判も『人間力』だよ。みんな見てる。おまえも辞める寸前に分かるさ」

 高校時代に右肘を手術、後に肩も痛めたが野球をやり切りたかった。大学で僧侶の資格に加えて教職課程を受講し、郷里に戻って高校野球の指導者になろうと考えていた4年生の時だった。プロ野球の審判員面接に誘われた。

 当時の採用はスカウトが中心で、同期を含めて元プロ選手が多い。「記念受験」のつもりで東京の事務局を訪れた。ところが、「すぐ手続きを。実家の両親から同意書をもらってくれ」と内定が出た。慌てて実家に電話すると、「だまされてるんじゃないか」となかなか信じてもらえなかった。

 最後の秋の大学リーグは審判員で参加した。その後は僧侶の資格「教師」となるための修行で東本願寺に赴き、完了すると広島のキャンプ地に飛んだ。北別府学さんらテレビの中のヒーローに「こんにちは」とあいさつされ、山本浩二監督(当時)に「俺がいるうちに(1軍の試合に)上がってこいよ」と激励された。「プロになったんだ」と実感した。キャンプが終わると家族が準備してくれた東京のアパートへ。目まぐるしく環境が変わった。

◎「あっという間」の1軍戦デビュー 失敗とベテランの言動 糧に

 1995年5月5日、佐々木昌信さんは広島市民球場で1軍戦デビューした。三塁塁審を務めたが、「あっという間に終わって、先発が誰だったかすら記憶にない」。ゴールデンウイーク中の広島―阪神戦は超満員で、2軍の試合と全く雰囲気が違った。「あしたはこの中で初めて(1軍の)球審を務める」―。その不安で頭がいっぱいだったことは、よく覚えている。

 6日の試合は広島のワンサイドとなり、多少余裕を持って進行できた。ゲームセットで深く息をつくと、「今から何十年やると思ってる。こんな試合ばかりじゃないぞ」と先輩に叱られた。優勝争いが激しくなる終盤戦や日本シリーズの大一番、「そこに呼ばれる審判員になれ」と。

 野球の膨大なプレーパターンに対し、審判員は互いの視線をカバーして判定する。若手は失敗を繰り返して適切な動きを身に付けるしかない。当然、嫌な思いもした。「人生は思い通りにならないことを学ぶ場」という仏教の思想が支えになった。若いころは外国人選手と一触即発になったこともあるが、冷静にトラブルをさばくベテランの言動を参考に成長を続けた。

 審判員人生で一番の財産が、2017年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。メジャーリーグの審判と接し、野球観が大きく広がった。「3人に聞けば3人とも違う答えを持つ。打ち合わせにこだわらず試合進行に合わせて配置を変える。『何があっても俺たちならできる』というプロ意識がすごかった」

 日本に戻ると、クルーチーフを務める「佐々木班」はマニュアルに縛られないことをモットーとした。定年の55歳を前に、改革途上でユニホームを脱ぐ寂しさはある。20年東京五輪の審判員に内定し、ユニホームとスパイクの採寸を終えていたが、それも幻となった。「最後まで、思い通りにはいかないな」と受け止めた。

 10月28日に住職就任。引退試合の翌日、11月5日の朝には法事を執り行った。人生の節目の目まぐるしさは28年前と似ていた。華やかなプロの世界で力尽きるまで戦う選手を無数に見届け、今自分が去るに至り、「野球も仏教も、全てのことはつながっている」と感じる。そんな法話がこれから生まれていく。

 ささき・まさのぶ 1969年8月生まれ。館林市出身。館林高―大谷大卒。高校、大学で硬式野球をプレー。92年セ・リーグ審判員に入局し、95年に1軍戦デビュー。2013年からクルーチーフ。15年に最優秀審判員賞。16年に史上64人目の2000試合出場を達成した。日本シリーズ6度、オールスターゲーム4度出場。袖番号38。

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