上野ら群馬県勢8人選出 金メダル期待の五輪ソフトボール代表発表 「期待に応え頑張る」
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ソフトボール東京五輪日本代表に選ばれ、ガッツポーズする(左から)原田、内藤、森、上野、我妻、藤田、山本、市口=高崎市ソフトボール場
ジャパンカップの米国戦に登板した上野=2019年9月、高崎市ソフトボール場
女子ソフトボール日本代表の選手発表会見に出席した(左から)矢端選手強化本部長、三宅会長、宇津木監督

 日本ソフトボール協会は23日、今夏の東京五輪で金メダルが期待される代表15人を発表した。群馬県勢は、日本代表のエースとして実績を重ねてきた上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)ら8人が入った。ソフトボールが最後に行われた2008年北京五輪から13年ぶり3度目の出場となる上野投手は「皆さんの期待に応えられるよう頑張る」と意気込みを語った。

 県勢はこのほか、藤田倭投手、我妻悠香捕手、市口侑果、内藤実穂、山本優の3内野手、森さやか外野手(以上ビックカメラ高崎)、原田のどか外野手(太陽誘電)が名を連ねた。上野投手以外の県勢7人は初の五輪出場となる。

 同協会は同日、オンラインで会見を開き、代表選手のほかに三宅豊会長、矢端信介選手強化本部長(ともに新島学園高出身)、宇津木麗華監督が出席。三宅会長は「ソフトボールは東京五輪のトップバッターとして福島県で開幕する。幸先のいいスタートを切れるよう、一丸となって進んでいく」とあいさつした。

 宇津木監督は「選手を信じ、一心同体で全力で頑張る。皆さんの応援が大きなパワーになる」と話した。チーム構成に関しては、過去の五輪代表の「4投手2捕手制」から「3投手3捕手制」に変更。バッテリーの組み合わせを増やすことで、二枚看板の上野、藤田両投手の力をより引き出す狙いがあるとした。

 代表を発表した矢端選手強化本部長は「無事すべての強化事業を終えた」と報告。選出については、21日に協会理事会の承認を得たという。日本女子リーグ推薦の延べ450人から候補を絞り込み、年間約170日に及ぶ合宿で選手の発掘と育成を進めた選考経過を振り返った。

 発表を受け、高崎市の富岡賢治市長は「日本代表に高崎のチームから8人選ばれたのは地元として誇らしい。市民みんなが応援している」とコメントした。

◎集大成の「金」へ上野「今の自分見せる」
 東京五輪で金メダルを期待されるソフトボールの代表が発表された23日、群馬県8選手は高崎市ソフトボール場「宇津木スタジアム」に集い、オンライン会見にも応じた。「役割を全う」「力を出し切る」。表現は違えど目的は「日本を勝たせる」に尽きる。

 2008年の北京五輪、ソフトボール日本代表は悲願の金メダルを獲得し、日本中を熱狂させた。主戦としてチームを引っ張った上野由岐子の名は不動となった。23日の東京五輪代表発表を受け、上野は「あれから13年の月日がたっている。あの時のような投球はできない。今の自分を見せる」と冷静に語った。

 競技は北京後、五輪種目からの除外が決まっており、「最後の金メダル」を争う特殊な状況。上野にとっても自身を軸に米国対策が練られており、独特の緊張感に包まれていた。「もう二度とこうした瞬間は味わえない」と大会後、競技への情熱を失いかけたが、所属チーム監督(当時)だった宇津木麗華監督らに「頑張っていれば、続けていれば何か良いことがある」と引き留められた。

 順風満帆、常に頂点にいたわけではない。16年には左膝を痛めて長期離脱を経験。19年には日本リーグの試合中に左顎を骨折し、緊急手術から約4カ月実戦を離れたが「それで競技を忘れるほどやわじゃない」と復活した。

 やるなら徹底するのが上野だ。この13年、複数の変化球を試して球種を増やし、選別を繰り返した。「オリエンタル・エクスプレス」と称された剛速球を思い通り投げ込めたのが北京なら、東京は調整や試合への入り方も含めた投球術の集大成を見せる場となる。

 大会は序盤、福島県内が会場となる。「何のため福島から五輪がスタートするか。ただの勝ち負けではない。使命がある。何を取っても大事な一戦になる」。コロナ禍が長引き、五輪開催に否定的な世論もあるが、見せたいのはスポーツの力だ。「五輪をやって良かったと思われるような試合をしたい」と誓った。

◎代表支える群馬県勢 三宅、矢端両氏と宇津木監督
 日本ソフトボール界を支える群馬県の3人が東京五輪の代表会見でそろい踏みした。

 日本協会の三宅豊会長は新島学園高出身で同校の教員を務め、男子代表エースとしても活躍した。上野由岐子が台頭するまで、競技の代名詞的存在だった。

 当時の教え子が矢端信介選手強化本部長。北海道で高校教員となり、世代別代表監督などを経て現職に就いた。ともに強化畑が長く、代表主力は中高生時代から成長を見守った面々だ。

 宇津木麗華監督は世界一を目指した宇津木妙子氏に共感し、1988年に日立高崎(現ビックカメラ高崎)に入団、代表でも活躍した。高崎の生活は30年を超し群馬県への愛着も深い。三宅、矢端両氏とも「日本を金メダルに導くのはこの人」と厚い信頼を寄せる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事