勝敗以上に必死な姿を ソフト日本代表 上野由岐子投手
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開幕戦に向けて調整するソフトボール日本代表の上野投手=20日、福島県営あづま球場

 昨年3月25日の朝、ソフトボール日本代表の上野由岐子投手(38)=ビックカメラ高崎=は群馬県高崎市の練習拠点でやり場のない気持ちをぶつけるように外野を黙々と走り続けた。前夜に東京五輪の延期が決まった。「もう1年頑張らないといけないのか」。中止を回避できたことを前向きに捉えたいと思う一方、1年という時間の重みにショックがない交ぜになった。

 新型コロナウイルス禍に襲われ、五輪開催を巡って世論は割れた。今なお混沌(こんとん)とした状況のまま全競技の先陣を切ってプレーする。「試合の白黒以上に目標に向かって進んでいく姿、必死になって取り組んでいる姿を伝えたい」。スポーツの原点に立ち返ることで葛藤を乗り越えてきた。

 2008年北京五輪で金メダルを獲得した後、実施競技から除外された。目標を失い、何度も引退しようと思った。それが16年に東京五輪での復帰が決まり、11月に関係の深い宇津木麗華監督が2度目の監督に就任したことで再び競技への意欲が戻ってきた。

 周囲の期待を一身に背負う中、19年4月に打球を受けて顎を骨折。約4カ月、実戦を離れる大けがを負ったことで逆に「気持ちにスイッチが入った」と言う。

 全てを20年夏に合わせて再始動した直後にコロナ禍でリセットを余儀なくされた。自宅にこもる時間が増え、丁寧に掃除をしたり、ヨガに取り組んだりする日々。「コロナを理由に言い訳をしないように。これから先、どのように進んでいかないといけないのかを改めて考えさせられた」と迷いはなくなった。

 9月に日本リーグが5カ月以上遅れて開幕すると「やっと試合ができる。楽しみだし、うれしい」と子どものように無邪気に笑った。アスリートとして試合の場で戦えることがうれしかった。

 だが、感染状況はその後も一進一退を繰り返した。日常が少しずつ戻ってきても「不要不急」との批判が鋭く突き刺さった。「世の中の流れに反抗する気持ちはないけれど、スポーツの力を今ここでどう発揮できるか」と言葉を選びながら訴えたこともある。

 福島で試合をすることが決まった時から「復興五輪」の意義をずっと考えてきた。これも競技開始まで2週間を切ったタイミングで一転して無観客での開催が決定した。

 自分が果たすべき役割を見失いかねない状況にも「グラウンドに自分たちの全てを出し切りたい。無観客という形だけれど熱い思いを伝えていけるように」と言い切った。「スポーツの力」が試され続けたこの1年。自分の力を信じてグラウンドに立つ。

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