《五輪フェンシング》見延「描き続けた夢がかなった」 男子エペ団体が記者会見
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金メダルを手にポーズをとるフェンシング男子エペ団体の(左から)宇山賢、加納虹輝、見延和靖、山田優=31日、東京都内(代表撮影)
記者会見するフェンシング男子エペ団体の見延和靖=31日、東京都内(代表撮影)

 フェンシングで日本初の五輪金メダルを獲得した男子エペ団体の見延和靖主将(ネクサス)と山田優(自衛隊)宇山賢(三菱電機)加納虹輝(JAL)が31日、東京都内で記者会見し、チーム最年長の見延は「リオデジャネイロ五輪は個人のみの出場でさみしい思いをした。自国開催の団体で金メダルを絶対取るんだと描き続けてきた夢がかなった」と語った。

 34歳の見延は初戦途中で退いたが、エース山田とアンカーの加納、補欠から出場の宇山が奮闘。山田は「チームをまとめるのは見延先輩。支えてくれている安心感があったから全力で戦えた」と話し、最も付き合いの長い宇山は「見延さんに遅れを取らないよう、団体も底上げしようと食らい付いてきた。(五輪では)見延さんが声を張って応援してくれた。『ウォーミングアップ、もっとしなくて良いか。いつでも声を掛けてくれ』とずっと待機していた」と舞台裏の貢献を強調した。

 最年少の加納は国際大会を制する見延に憧れ、目標にしてきた。筋力トレーニングなど練習を参考にし「体を鍛えないと世界で勝てないと自分もやり始めて、W杯で勝てた。日本のエペに道筋をつくった人」とたたえた。

 合言葉の「エペジーーン」も有名に。見延は「気持ちがじーんと来る、僕たちのプレーを通して見た人に感動を届けるという二つの意味を込めて付けた愛称。小さな幸せや小さな親切があったときに『今、エペジーンとした』と使ってもらえたらうれしい」と笑顔で語った。さらに「パリ五輪も個人と団体の2冠を取りたい」と3年後に目を向けた。

◎「先輩の姿見て学んできた」見延が思いの丈語る

 フェンシング男子3種目中、最も競技人口が厚いエペで数々の国際大会に勝って日本の先駆者となり、唯一の五輪出場経験者として今回の東京制覇も先導した見延和靖主将(ネクサス)が思いの丈を語った。

 ―アジア人に不利とされてきたエペで金を取れた勝因は。

 先に突けば勝ちで本当に体格差が有利に働く。数年前までは「日本人が最も勝てない種目」と言われていて、僕は絶対そんなことない、どこかに突破口があるはずと。それはアジア人のフットワーク力だった。

 僕たちが築いたという訳ではなく、これまでも先輩がそのように戦い、その姿を見て学んできた。大会でもポイントが取れている部分だった。そこをさらに強化して、プラス、コーチの指導があって金を取れた。

 ―これまで日本人最高成績を残していた国際連盟の太田雄貴副会長が、最大の貢献者に挙げた。

 恐れ多い。僕がいたからこのチームができたわけでなく、僕以前にたくさんの諸先輩がいて、その魂を、教えを、歴史をうまく引き継げたのがこのチームができ上がった要因。さらに僕たちなりの歴史を一歩ずつ積み重ねた結果かと。
 2024年パリ五輪も目指すつもりでいる。個人だけでなく団体も出たいし、次は2冠をしたい。

 ―金メダリストとして後進への思い。
 今月、インターハイが地元福井で開かれる。高校生たちに努力の成果を出してほしい。できれば会場に足を運びたい。そこで金メダルを披露し、さらに熱い気持ちになってパフォーマンスを発揮してもらえたら。(まとめ・田中暁)

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