斎藤章児さん死去 79歳 農大二27年間率いた名将 甲子園に6度
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斎藤章児さん

 群馬県の元農大二高野球部監督として春2回、夏4回の甲子園に導いた斎藤章児(さいとう・しょうじ)さんが4日、高崎市江木町の自宅で死去した。79歳。死因は脳出血とみられる。通夜は6日午後6時から、告別式は7日午後0時半からともに同市下之城町の下之城プリエッセで行われる。喪主は妻の偕子(ともこ)さん。

◎3日はセンバツ決勝視聴 「もう一冊野球の本を…」

 2日に高熱を出したが、3日は熱も下がり、選抜高校野球大会決勝やプロ野球をテレビで観戦していたという。偕子さんは「昨夜まで元気だった。もう一冊野球の本を書くんだと意気込んでいたのに…」と目を赤くした。

 斎藤さんは2010年1月、少年野球の指導中に倒れ、頸髄けいずい損傷により四肢まひとなった。その後は車いすでの生活を送っていたが、必死にリハビリに打ち込み、ノートに文字を書けるまでに回復していた。

 1940年3月、東京生まれ、立教高、立教大卒。名門・桐生高を指揮していた故・稲川東一郎さんとの対戦を夢見て群馬に赴き、67年に農大二高野球部監督に就任した。「心のキャッチボール」を選手に訴え、野球を通じた人間形成を最優先に考える指導法で、春2回、夏4回甲子園に出場。元ヤクルトの阿井英二郎投手らプロ野球選手も輩出した。

 2000年から4年間、立教大野球部監督を務め、元日本ハムの多田野数人投手や日本テレビの上重聡アナウンサーらを指導。監督業を退いた後は上毛新聞の高校野球コラム「斎藤章児の目」や「熱球解説」を執筆した。

 農大二高野球部前監督の加藤秀隆教頭は「非常に驚いた。農大二高野球部の礎を築いてくれた方で、学校にとっても恩人。群馬の野球界の発展に寄与してくださった。とても残念」と話した。

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