《白球の詩》力尽くし胸に誇り 伊勢崎工・中沢駿佑記録員
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メガホンを手に声を張り上げ、得点を喜ぶ中沢記録員=桐生

 八回裏に逆転を許した後も、ベンチから仲間を鼓舞し続けた。「声を出してチームを盛り上げるのが自分の仕事」。手をたたき、メガホンで激励の言葉を送った。悔しい敗戦となったが、グラウンドで躍動する仲間の姿はまぶしかった。

◎病気抱えつつ野球部に
 「最近の練習試合であまり打ててなかったが、今日は打線がつながった。みんなかっこ良かった」。間近に見た最初で最後の夏を、しっかりと目に焼き付けた。

 異例の新入部員だった。野球経験は公園で遊んだ程度。しかも「ジャンプ禁止。雨にぬれてもだめ」などの制約があった。「いつまで続くのか」。周囲は困惑しつつも、温かく迎え入れた。

 野球に興味を持ったのは小学6年生になる前の春休み。祖父の金子英次さん(67)に連れられ、東京ドームに巨人戦を見に行ったのがきっかけだった。頭上を越えた打球はサヨナラ本塁打。球場全体が沸き、「一気にはまった」。中学で野球部に入ると決めた。

 しかし、その決心からわずか1カ月後、突然の体調不良に襲われた。診断結果はネフローゼ症候群。2~3歳でかかることの多い腎臓の病気と知った。2カ月ほどで学校生活に戻ったが、その後も再発を繰り返した。

 体に負荷が掛かると悪化するため、体育の授業は見学。野球部に入るという願いは医者に止められた。ようやく運動が許されたのは中学2年の3学期。野球への思いが薄れることはなく、高校で念願の野球部に入った。

 入部当初は練習の最後にグラウンドを3周するダウンにもついていけなかった。集団から離れた中沢に「向こうで一緒に走ろう」と2年生が声を掛けてくれた。ノックの代わりに手で球を転がして守備の基礎から教えてくれた。「ずっとやりたかったので全てが楽しい」。少しずつ体力が付き、秋ごろから全体練習に加われるようになった。

 昨年の夏はスタンドの一番上から試合を見守った。4~5度目の再発。応援も運動になるため、勝利を祈るだけだった。練習試合に出始めていただけに悔しかった。それでも、「自分にやれることをしよう」と気持ちを切り替えた。座ったまま球を投げて打撃練習に付き合ったり、古い球にテープを巻いて練習用に直した。8月下旬に練習に復帰した。

 気配り、目配りを買われ、今大会の開幕直前に記録員を任命された。入部当初から中沢を見ていた顧問の黒沢和也教諭(33)は「今日も相手の配球を伝えるなど、よく頑張っていた。『野球をやっていた』と自信を持って言えるようになった」と目を赤くした。

 卒業後は看護師を目指すという。「病気のつらさを味わってきたので、少しでもそれを和らげられるような人になりたい」。全力で高校野球に打ち込んだ誇りを胸に、新たな夢に向かう。(田島聡子)

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