《白球の詩》率先 声でチーム鼓舞 高崎東・高橋翼一塁手
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4回のチャンスにスクイズを外され、必死にボールに飛びつく高橋=桐生

 試合を終えベンチに戻ると、あふれ出る涙を止められなかった。「チャンスを生かすことができなかった」。必死の思いでけがから復帰して臨んだ大会は、あまりに早く終わった。

◎けが乗り越え先発復帰
 両校無得点で迎えた四回、1死一、三塁の好機で打席に立った。1ボール1ストライクとなった3球目、西目光司監督から送られたサインは、打撃が本調子に戻らない中で徹底的に練習してきたスクイズだった。「絶対に決めてやる」。だが、投球は外角に大きく外され、精いっぱいに伸ばしたバットは空を切った。

 春季大会を前にした3月中旬、練習試合で邪飛を追い掛けてネットに衝突し、左肘を負傷した。病院に搬送され、手術を受けた。医師から下された診断は脱臼骨折と靱帯じんたい断裂。野球ができるようになるまでに3カ月かかると告げられた。夏の大会に間に合うかどうか、ぎりぎりの期間だった。

 けがの直後は、痛みで走ることもできなかった。「どうしてネットの位置を確認できなかったのか。副主将としてチームに申し訳ない」。悔しさばかりが募った。

 そんなとき、西目監督から「けがをマイナスでなく、プラスにしなさい」と声を掛けられた。もともと技術が抜きん出ているわけではなく、声を出して引っ張るチームの精神的支柱だった。自分の役割を思い出し、チームを盛り上げることに専念した。

 春季大会は一塁ベースコーチとして出場し、仲間を激励した。天沼慶主将は「高橋が積極的に声を出してくれたおかげでチームの士気が上がった」と振り返る。

 負傷から2週間がたつとギプスが外れ、リハビリが始まった。同じくけがで戦列から離れていた佐藤聖珠と「夏までには必ず一緒に戻ろう」と誓い合い、グラウンド、病院、自宅と場所を選ばずにリハビリに励んだ。そして迎えた6月中旬の山梨遠征。夏の大会に向けてメンバーを固めるこの遠征で初めて、試合にフル出場できた。

 迎えた夏初戦。観客席に座る母の真寿美さん(47)は「私は半分諦めていたのに、決して弱音を吐くことなく懸命にリハビリに取り組んだ。今日は自分のために楽しんでプレーしてほしい」と、息子の勇姿を見守った。だが、結果は一歩及ばず―。

 「試合に勝つことが、野球人生に携わってくれた人たちへの恩返しだと思っていた。それが1勝もできずに悔しい」。試合後、高橋は涙で目を赤く腫らした。小学生から続けてきた野球はこれで一区切り。「最後にみんなとグラウンドに立ててよかった。野球で学んだことを糧にこれからの人生を歩みたい」。そう話す姿は、一回り成長したように見えた。(丸山卓郎)

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