《白球の詩》最後の夏 背番号「6」 桐生第一・青木龍星内野手
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笑顔でチームメイトに指示する桐生第一の遊撃青木=上毛新聞敷島

 野球部のグラウンドから自宅まで、自転車で3分。「最高の環境」で2年半、白球を追い掛けた。

◎甲子園出場の父 追って桐生第一へ 家族も後押し
 高校入学を期に、親子3人で埼玉県鴻巣市から群馬県みどり市に引っ越した。父の祐二さん(43)は、桐生第一が甲子園に出場した際のベンチ入りメンバー。寮生活の選択肢もあったが、同じ道を歩もうとする1人息子を近くで応援したかった。祐二さんは「離れるのはさみしかった」と照れたように笑う。

 張り切って入学した青木だが、早々に強豪校の厳しさを痛感した。身長は175センチの今より10センチほど低く、体力も技術も同級生に劣っていた。自信のあった守備は、焦ってミスばかり。優勝した1年生強化試合「若駒杯」で、出番は一度もなかった。

 入学当初から指導の機会が多かった佐藤秀太郎部長も「正直、ベンチ入りは厳しいかなと思っていた」と振り返る。ただ「根性のあるやつだった」。自宅が近いのをいいことに時間に縛られず、残って練習する姿を指導者は見ていた。

 学生コーチの春原碧唯に頼み込み、全体練習後にマンツーマンでノックやバッティング。休みの日は、祐二さんと近所の公園でトレーニングした。最後の夏、背番号は「6」だった。

 大一番の準決勝。前橋育英の好右腕梶塚彪雅から適時打を放ち、入学時からの課題だった守備は無失策。敗れはしたが、2年半の成果は出した。

 ただ、父が息子をたたえた場面は、プレーではなかった。四回1死三塁。遊撃の青木がタイムを申し出て、失点直後の主戦杉山直杜に駆け寄った。「いつもみたいに笑っていれば大丈夫」。グローブでポンと、エースの腰をたたいた。祐二さんは「子どもの頃から、ずっと『野球は1人じゃできない。仲間を大切に』と言ってきた。よく分かっていた」と目を細めた。

 憧れの甲子園には届かなかった。試合後はうつむき、言葉を詰まらせたが、「誰よりも成長できた。自信を持って誇れる」と最後は言い切った。そして、一言付け加えた。「周りが支えてくれたおかげです」(越谷奈都美)

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