甲子園に「南牧村の希望」 きょう初戦・前橋育英の市川貴大選手
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8日の初戦に向けて練習に励む前橋育英高の市川選手=7日、大阪府内

 【甲子園=越谷奈都美】第101回全国高校野球選手権(兵庫県西宮市・甲子園球場)に出場する前橋育英高3年の市川貴大選手は「高齢化率日本一」の群馬県南牧村出身だ。少子化に伴い、自らも所属した村で唯一の少年野球チームは昨年から休部状態となったが、チーム関係者は「村の希望」と声援を送る。8日の初戦は三塁コーチャーを務める予定。市川選手は「精いっぱい頑張る姿を村の人に見せたい」と意気込んでいる。

◎「南牧村で育ったからこそ今の自分がある」
 市川選手は小学2年で地元の少年野球チーム「南牧ラッキーズ」に入部した。入部2日後には試合に出るほど、部員数はぎりぎりだった。近年は近隣の自治体から選手を集めて成り立っていたが、昨夏の6年生の引退後、村内の選手はわずか1人に。創部40年以上の伝統チームは事実上の休部を余儀なくされた。

 白球を追う子どもが消えた村にとって、市川選手の甲子園出場は一筋の光だ。昨夏までラッキーズ監督を務めた石井悟さん(50)は「若い子の頑張りが村には一番の希望。夢をかなえた姿は子どもたちの希望にもなる。横断幕を掛けたいくらい」と手放しで喜ぶ。

 地元中学に野球部がないため、高崎市吉井町で活動する硬式野球「群馬西毛ボーイズ」に通った。周囲は強豪チーム出身者ばかり。小規模だったラッキーズ出身と言えない時期もあった。だが、中学2年の立志式で「南牧で育った経験を誇りに思ってほしい」と激励され、考えが変わった。

 ラッキーズで多くを学んだことに気付いた。低学年の選手が多く、エラーが当たり前だったからこそ「失敗してもくじけない」という根性が育った。少人数チームは「何があっても仲間を見捨てないし、信じる」との考えにつながった。

 これらは、前橋育英高に進学後も支えになった。ベンチ入りまでは遠かったが「苦しい時も声だけは出してチームに貢献する」とひたむきに努力した。その姿勢を評価し、荒井直樹監督は「大きな声で盛り上げてくれる。チームに欠かせない」と背番号17を託した。

 小学6年の時、祖父の圭三さん(76)に連れられ、前橋育英高が夏の甲子園で日本一になった決勝を現地で観戦した。きょう8日、ついに憧れの舞台に立つ。「南牧村で育ったからこそ今の自分がある」。自慢の声を張り上げて、チームに貢献するつもりだ。

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