「スローカーブを、もう一球」の主人公 川端俊介さん死去 56歳
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高崎高初の甲子園出場に向け、秋の関東大会で力投する川端さん=1980年11月、茨城・水戸市民球場

 さよなら、「スローカーブ」―。1981年春の選抜高校野球大会に群馬県立高崎高の硬式野球部の主戦投手として出場し、22日に56歳で亡くなった川端俊介さん=高崎市=の告別式が26日、同市内で営まれた。故山際淳司さんのノンフィクション「スローカーブを、もう一球」の主人公として知られる川端さん。当時の仲間らが同校を初の甲子園に導いた右腕との別れを惜しんだ。

◎1981年のセンバツ出場 バッテリー相手が弔辞
 作品は甲子園につながる80年の秋季関東大会での「タカタカ」の快進撃を追った。川端さんが緩急と制球力を武器に、強豪校に立ち向かう物語が人気を集めた。

 告別式では、当時バッテリーを組み、社会人になってからも球を受けてきた宮下洋之さん(56)が弔辞に立った。「(甲子園は)1回戦敗退だったが、本当に素晴らしい思い出だった」とし、「打たれても一球一球丁寧に投げ続ける。それは高校野球から熟年野球になっても変わらず、そんな川端が大好きで心から信頼していた」と語り掛けた。

 ただ、2人には作品から生まれた世間の印象に、自ら引きずられてしまった歯がゆさもあったという。式後に宮下さんが思い返したのは、甲子園の初球。本来の武器ではないスローカーブで試合に入り、自分たちの投球ができなかった。「後で考えると2人とも浮ついていた」と、17歳のほろ苦い思い出にほほ笑んだ。

 川端さんはその後、小中学校の教員として働き、軟式野球にも打ち込んだ。

 妻の紀子さん(45)は「家でもボールを投げていた。一つのことを続けられるのはすてきだった」と目を細める。高崎高が2度目の選抜に出た2012年には、甲子園で後輩にエールを送った。作品の読者にはクールな印象の川端さんだが、母校と野球に対する思いは熱かった。

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