《白球の詩》次は競馬騎手の夢へ 太田工・斉藤寛大外野手
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飛球を捕り、送球する太田工右翼の斉藤=高崎城南

 六回裏1死満塁、あと1点でコールド負け。「絶対に得点を許さない」と強い気持ちで右翼の守備に就いていたところへ飛球が来た。必死に追い掛けたがボールはグラウンドに弾み、試合が終わった。

◎6回裏の守備 糧に
 野球を始めたのは小学5年生。友人の勧誘を受けてチームに入った。安打を放ったり好プレーをしたときの快感、仲間が打ったときの一体感が魅力的だった。人数が少なく、すぐに試合に出られたことも大きかった。

 太田工野球部に入ると、環境が大きく変わった。初めてのレギュラー争い。「他の選手のレベルが高く、自分との差は大きい」と入部を後悔したこともあった。ただ、そこで腐らずに練習を重ねてきた。

 練習に対する姿勢も大きく変わった。一つ一つのプレーが試合につながることを意識して練習に励んだ。守備からの出場が多かったことから、守備練習には特に集中して取り組んだ。

 身長163センチと小柄。使うバットは他の部員よりも数センチ短い。ただ、大柄な選手にも負けない打球を飛ばそうと、筋力トレーニングで汗を流した。

 技術や体つきなど、日々の成長を実感することが楽しく、より一層練習に精を出した。武藤将充監督は「チームの誰よりも真剣に練習していた。入部当初一番下手だった選手が、ここまで成長するとは」と感慨深く語る。

 この夏で野球のユニホームを脱ぐ。国際馬事学校に入学し、競馬騎手になる夢をかなえるためだ。

 小学生の時、テレビにたまたま映った武豊騎手に憧れた。入部当初の体重は60キロ近くで、騎手になるには重すぎた。しかし、真面目に練習に打ち込む中で体が引き締まり、2年生で夢に挑戦することを決めた。

 決断後は、低カロリーの食事に変更。部活の自粛期間中も自炊するなど、体重を管理し続けた。当初は反対していた父の徹さん(48)は「本気度が見えた」と今では息子を応援する。

 「ずっと覚えていると思う」と話した六回裏の守備。あの日追い掛けた白球に届くほど速くなれるよう、新たなステージでも実直に努力を続ける。(高木大喜)

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