《白球の詩》努力の才能 守備で開花 大間々・池田隆人三塁手
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七回裏、ライナー性の難しい打球を捕球する大間々の池田。白球をしっかりとグラブに収めた=桐生

 3-6で迎えた九回表2死。打席に立つ1番打者をネクストバッターズサークルで見守った。「何とか3番小島(大)につなげたい」。だが、5打席目は訪れなかった。悔しさをこらえ切れず、ベンチ裏の通路で大粒の涙を流した。最後の夏が終わった。

◎成長を糧に次の夢へ
 父の影響で小学4年で始めた野球。中学3年間は主に左翼の控えだった。練習の成果を出せず、試合を見守る時間が続いた。「本当に苦しかった」。中学最後の大会は、悔しさよりも自分の不甲斐なさに泣いた。「このまま野球をやめたくない」。高校でもプレーする決意を固めた。

 転機は高校1年の夏。金子祐弥監督から提案があった。「三塁手をやってみないか」。自分の可能性を信じてみたが、当初は苦難の連続だった。慣れない守備位置に戸惑い、ゴロがさばけず送球も安定しない。自信のなさから練習試合でミスを連発。「正直、やっていけるか不安だった」

 状況を変えたのは、周囲も認める努力の才能だった。もともと“超”が付くほど真面目な性格。夏休みに、時間があればグラブの構え方や捕球時の姿勢を矯正。送球までの動きの無駄をなくそうと努めた。自主練習ではひたすらノックを受け続けた。フリー打撃でも三塁の守備に向かった。結果はすぐには出ない。それでも必死に頑張る姿を、仲間は優しく見守り支え続けた。

 練習の成果が出始めたのは2年の秋大会。中央中等との1回戦、三遊間のゴロを難なくさばけた。「自分の成長を認めるきっかけになった」。4年ぶりの公式戦勝利に大きく貢献した。

 その後は金子監督から「守備でチームを救える」と評される内野陣の中心選手に成長した。この日も、七回裏にライナー性の難しい打球を見事捕球。観客席やベンチから歓声が沸いた。

 最後の試合は「中学の時より何倍も悔しかった」と振り返るも、努力した結果だからこそ、表情にはやり切った思いが浮かぶ。今後野球を続けるかどうかは分からない。だが「野球で学んだことは次の人生に必ず生きる」と確信する。高校卒業後の夢は消防士だ。チームの次は、人の命を救う人生を目指す。(中村穂高)

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