《白球の詩》けが克服しスタメン復帰 身に染みた仲間の支え 樹徳・高田悠生主将
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タイブレークの延長13回表2死三塁で迎えた第6打席、中飛に倒れるも一塁へダッシュする樹徳の高田主将

 保護者らが並ぶ3塁側スタンドに頭を下げた途端、樹徳の高田悠生は涙をこらえ切れなくなった。延長13回を1人で投げきった主戦柏崎日祐を援護できなかった悔しさがあふれた。

 一度は諦めかけた最後の夏だった。2月の打撃練習中、右手を負傷。詰まった当たりで手に痛みが走り、その後、バットも振れず、ボールも投げられないほどの状態が続いた。復帰が見通せない状況の中でもできる練習に励んできた。目標とする甲子園には届かなかったが、「やってきたことに間違いはなかった」と力を込めた。

 小学3年から野球を始め、桐生川内中では主戦を担った。地区の選抜チームで主将を務め、県大会優勝も経験。思う存分野球に打ち込んできた中で、大きなけがは初めてだった。

 一時は自分のするべきことを見失い、チームを盛り上げないといけない場面でも熱意を持てなかった。「右も左も分からない感じだった」。春季大会はベンチにすら入れなかった。

 「5月末までに手の痛みが消えなければ、マネージャーに転身しよう」。悩んだ末に決めたのは、満足にプレーできないまま選手を続けるよりもチームに貢献できると考えたからだ。父の盛幸さん(49)に伝えると、「6月以降に治ったらどうする?簡単に諦めるな」と反対された。しかし、決心は固かった。

 5月、自身の意向をチームに伝えた。すると5月中旬ごろ、不思議と痛みが徐々に消え、月末にはバットを握れる状態にまで回復した。喜んだのもつかの間、数カ月にわたって打撃練習ができなかった代償は小さくなかった。握力は戻らず、思い通りの打撃ができなくなっていた。

 不安は大きかったが、「待ってるよ」というチームメートの言葉に救われた。同じようにけがで悩んだ津田竜聖の存在も大きかった。「必ずまた一緒にプレーをしよう」と、帰宅後にも素振りを繰り返し、最後の大会でようやくスタメン復帰を果たした。

 「支えてくれた仲間にありがとうと伝えたい」。今大会初のタイブレークとなった試合を振り返り、あらためて苦楽をともにした仲間の存在が身に染みた。逆境から得た諦めない気持ちと周囲への感謝は、きっと生涯の糧になる。
(金子雄飛)

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