《白球の詩》連合チーム 唯一の3年 下仁田・板倉 堀口陽向主将
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足がつった仲間の手当てをする下仁田・板倉の堀口主将(中央)=高崎城南

 甲子園を目指す球児の夏が100回を迎えた。時代が変わっても、白球を追う彼らのまなざしは揺るがない。彼らが勝負の最後にたどり着く景色は、きっと次代にも引き継がれる。

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 六回表、打席で足をつり動けなくなった浦野晃太朗のところへ一目散に駆けていった。「大丈夫か」と声をかけ、足を伸ばした。それでも回復せずベンチまで背負って運んだ。仲間を思いやる主将の姿だった。

◎仲間に声 最後まで

 田部井雅行監督は「チームの元気印」と評価する。生徒会長も務める明るい性格。それでも「坊主が嫌」と高校野球をやるつもりはなかった。入学直後の証明写真撮影の時に当時の田島慶一監督に声をかけられた。熱心な勧誘に入部を決め、夏の大会に出場。安打も放った。

 大会を終え、当時の3年生が引退。部員は堀口ただ一人になった。試合どころか練習もできない。「辞めようかな」何度も思った。そんな堀口を田島監督が引き留めた。「俺と練習しよう」。田島監督とマンツーマンで練習を重ねた。キャッチボールやティー打撃。基本練習を繰り返し行い力をつけた。

 迎えた2年春。堀口と同じ下仁田中で一緒に野球をやっていた貫井琉雅らが入部してきた。昨年夏は農大二戦に二塁で先発出場。強豪校相手に最後まで食らい付いた。

 「3年夏は1勝を」。そう思っていた今春、田島監督が伊勢崎に異動になった。普段の練習だけでなく連合の練習で遠征するときもいつも一緒。野球以外のことも相談できる存在だっただけに驚きは大きかった。

 驚きはそれだけではなかった。春の大会で連合を組んでいた尾瀬と松井田が夏は単独で出場することになった。「最後の夏に出られないかも」。そんな心配が頭をよぎった。

 4月に下仁田に赴任してきた田部井監督は板倉に連合を申し出た。両校の距離は90キロ。片道2時間かかるため合同練習は土日しかできない。それでも夏の大会に出るために合同を組んだ。唯一の3年、堀口が主将になった。

 6月下旬の尾瀬との練習試合。春まで一緒に練習していた相手に0対19の大敗を喫した。周りのミスに強く言いすぎて雰囲気が悪くなり失点を重ねた。「このままではいけない。主将の自分がしっかりしなくては」。田島監督の言葉を思い出した。「主将はチームの雰囲気を良くすることが一番大事」

 3度目の夏。チームメートに積極的に声をかける姿がそこにあった。ミスが出ても「次だよ次、切り替えて」。点差が離れても必死に声を出し続けた。試合は惜しくもコールド負け。「最後までしっかりやろう」。整列まで気丈に振る舞った。球場外で下仁田・板倉両校応援団へのあいさつ。つらかった2年半を思い返し、どっと涙があふれ出た。(吉野友淳)

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