《白球の詩》夢のチーム もう一歩 健大高崎・大柿廉太郎主将
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サヨナラ負けが決まり、涙する健大高崎の大柿主将(左)

 左袖で目を覆った。九回裏1死一塁、強烈なライナーが三塁線を破り、返球が脇にそれた。勝負が決まるまで、プレーから目を切っちゃいけないのは分かっている。でも夏の決勝で3度目の負けは見たくなかったから。気の優しい、のっぽのキャッチャーは静かに我を通した。

◎自分を変え 仲間けん引

 青柳博文監督に1年生時から主将候補として期待された。2012年長坂拳弥、15年柘植世那と甲子園出場を果たした捕手主将の系譜だ。「広く目配りでき、扇の要を任せられる正統派」と、人柄や野球技術は及第点を与えられた。

 小学6年生だった12年、高校球界は大いににぎわった。藤浪晋太郎らを擁した大阪桐蔭が春夏連覇。「こんなチームをつくれたら最高だな」と思った。選抜準決勝で大阪桐蔭に1―3と肉薄した関東代表も印象に残った。それが長坂率いる「機動破壊」健大高崎だった。硬式野球の栃木・小山ボーイズで足攻めを学び、スタイルの合う健大を選んだ。

 昨春選抜。2回戦福井工大福井との延長再試合をはじめ、8強入りの熱戦を大柿世代が支えた。複数投手をリードし、守備をもり立てた大柿、長打力で一躍名を上げた山下航汰や高山遼太郎ら。夏は群馬大会決勝で前橋育英に屈したものの、次こそ健大の時代とみられた。だが大きな問題があった。

 父の英樹さん(47)は「小学2年で野球を始めた頃は元気な女の子が多くて、リードされている方だった」という。高校生になっても家にいる時、いつも笑っている印象しかない。元気者ばかりのミーティングを仕切る、こわもての主将を演じるのは苦手だった。

 秋の関東大会で2年連続の選抜出場を逃し、腹をくくった。「ふざけるな」。ミーティングをまじめにやらないメンバーを叱った。言いたくない気持ちは抑えた。自分の成長なしに人を変えることはできないと思った。

 危機感が少しずつ浸透してチームは本格化し、春の関東大会優勝で視界は大きく開けた。前橋育英や東海大相模(神奈川)作新学院(栃木)花咲徳栄(埼玉)と、関東勢が過去5年で4度夏の甲子園を制しているが、実力は横並びと感じた。「かつての横浜のような絶対的1校がいない」

 西の大阪桐蔭と戦える「東の盟主」。このメンバーなら―と夢を膨らませた矢先だった。対外試合中止。不祥事による自粛を伝えられ、3年生は泣き崩れた。バッテリーを組む2年生の藤原寛大らは自主トレを繰り返し、態度で示した。「一緒に甲子園に行こう」と。チームが死んでいないことに救われた。

 左袖で目頭を押さえたわずかな時間。今までの野球人生が、ばっと流れた。1年春から公式戦を戦い、ついに夏の甲子園につながる「最後の1勝」は得られなかった。

 試合後、ともに日本一を目指した高山に「お前が最高のキャプテンだ」と抱きしめられた。主将になって苦しいことの方が多かったが、仲間の支えでやり遂げられたと実感した。「この思いはきっと忘れない。ありがとう」(田中暁)

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