37歳 新たな一歩 元ザスパ・松下裕樹が栃木シティFC移籍
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新たな気持ちで今季の練習をスタートさせた松下=1月中旬、栃木市総合運動公園陸上競技場
「チームのために全力でプレーするだけ」と真摯な姿勢で練習に取り組む松下

 1月中旬、栃木県栃木市内のサッカー場。いつもと変わらない「サッカー小僧」の姿があった。J3ザスパクサツ群馬から今季、栃木シティFC(関東リーグ1部)に移籍したMF松下裕樹は初練習に参加した。「これまでと同じように毎日厳しく、誰から見ても一生懸命やっているという日々を過ごしたい」。37歳の新たな挑戦が始まった。

 丸刈りの頭に両手の手袋、慣れ親しんだスパイク。松下は前橋育英高時代から変わらない真摯しんしな姿勢で練習に取り組んでいた。「プロの選手を続けられるのはありがたいこと。声を掛けてくれたチームのために全力でやるだけ」。吹っ切れたように語った。

 昨季最終戦から2日後の12月4日、ザスパから契約満了を告げられ、気持ちは大きく揺れた。覚悟はしていたが、その現実に直面すると戸惑った。「『俺、どうしよう』と。J2昇格という結果を残せなかったし、試合に出る時間も少なくなった」

 答えはすぐには出なかった。だがプロの選手を続けたいという思いが勝り「やるだけやって、だめなら引退しよう」とJリーグの選手会が企画する合同トライアウトに参加。元横浜FC監督で栃木シティの岸野靖之戦略統括責任者の目に留まり、「戦える選手が欲しい」とオファーを受けた。

 栃木シティは昨年末に栃木ウーヴァFCから名称変更。昨季は17勝1分けで関東リーグ1部を制した。クラブは栃木市内に5千人規模のスタジアムを建設する構想も明らかにし、JFL昇格、Jリーグ参入に向けた動きを加速している。

 だがJ1、J2で長く戦ってきた松下には「経験したことのないカテゴリー」。複雑な思いを抱える背中を押したのは妻の言葉だった。「必要としてくれる場所があるなら選手を続けたら」。迷っていた気持ちも「必要と言ってくれた栃木の熱い思いに応えたい」。栃木シティの松下が誕生した瞬間だった。

◎「雑草魂」で挑戦

 在籍10年、松下は2007~12年の6季、15~18年の4季をザスパで過ごし、クラブとともに歩んだ。16年8月にはJ2月間MVPを獲得。自身としてもザスパとしても初の受賞だった。

 最も思い出深いのは08年J2第15節の水戸戦という。2ゴールでチームを初の連勝に導いた。ヒーローインタビューで涙を浮かべた姿はサポーターの語り草になっている。「あの頃、本気で思っていたんです。このクラブでJ1に上がりたいって」。植木繁晴元監督に「七色のパス」と称された正確なキックと抜群の統率力でザスパをけん引し、チームは08年、11年にJ2で9位。J1昇格の機運も高まっていた。

 だが12年から16年まで17位~20位と低迷、17年には最下位となり、J3に降格した。1年での復帰を掲げた昨季は5位。唯一の心残りはJ3のまま、チームを離れることだった。ふがいなさ、申し訳なさを抱え、チームを去った。

 ザスパの練習最終日に掲げられた「草津の誇り 俺たちのマツありがとう」との横断幕。今でもその光景が頭から離れない。その瞬間、「自分はザスパを離れる」という実感がようやく湧いてきたという。「クラブのことが好きだし、自分の生まれ育った街にあるプロのチームだから、特別な思いを持ってプレーしてきた。ザスパは伝統的に熱く、ハングリー精神を持った選手が多かった。これまで以上に魅力あるクラブをつくってほしい」

 名残惜しくはない。たとえチームが変わっても日々、目の前のことを全力でこなす姿勢は変わらない。栃木シティFCでの背番号はザスパ時代と同じ30番。ザスパで培った雑草魂で「挑戦」の新シーズンを迎える。(稲村勇輝)

 まつした・ゆうき 高崎FCイーグル―高崎高松中―前橋育英高―広島―福岡―川崎―ザスパ草津(2007年~12年)―横浜FC―ザスパクサツ群馬(15~18年)。J通算481試合に出場し、27得点。高崎市出身。

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