「いつかJ1のスタジアムに」 ザスパ・チームバス運転手 笹本信浩さん
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心を込めてバスの車体を磨く笹本さん

 J2ザスパクサツ群馬がJリーグに参入した2005年から、チームバスの運転手を務める。選手を乗せて全国各地の試合会場へ。J3降格やJ2復帰など、浮き沈みのあったチームを、間近で見守ってきた。「いつかJ1のスタジアムにバスで入って行きたい」と願う。

16年 選手の夢と走る
 会社員やトラック運転手を経て、05年3月に現在のボルテックスアーク(安中市)に入社した。その4日後、ザスパの運転手に抜てきされ、今季が16年目となる。

 「ホテルの空間が移動しているよう」な運転が身上だ。急ブレーキはもってのほか。アクセルをゆっくり踏み込み、車内の空調にも気を配る。全ては選手がピッチで最高の状態を表現できるようアシストするためだ。

 ザスパのバスを運転する日はタンスから「勝ちますように」と念を込め、ロゴの入ったハンカチを手に取る。ホーム戦では出社後にバスの点検を行うと、チームがミーティングを行う会場に移動し、終了の20~30分前から待機。選手が現れてからは「待たせてはいけない。とにかく急いで」スーツケースなどを積み込む。試合中はスタンドで試合をはらはらと見守る。

 黎明れいめい期のチームを支えた選手やサポーターからは親しみを込めて「笹爺ささじい」と呼ばれる。歴代の指揮官の特長も思い出深い。服部浩紀元監督はげんを担ぐタイプ。ホーム戦の際、当時集合場所だった選手寮からスタジアムまでのルートを毎回変えるよう指示があった。勝てばその道は「ビクトリーロード」と呼ばれた。

 昨年まで率いた布啓一郎前監督は市船橋高を常勝軍団に育てた名将。若い選手が多かった当時、「ごみを残すな、リクライニングを上げて、カーテンを開けて」と振る舞いに厳しかったという。チームは当時J3だったが、笹本さんは「これまで行かなかったスタジアムが多くて、私にとっては新鮮な日々でした」。

 長く運転手を務めたことで、サポーターや選手、スタッフなど全国に友人ができた。「たまにプライベートでスタジアムへ行くと、いろんな人から声をかけてもらえる。家族もびっくりするくらい」と頬を緩める。

 今年3月に60歳となった。今後も担当を続けるかは未定だが、担当を終えたらやりたいことがある。「今までできなかったから、スタジアムでビールを飲みたい」。自身もサッカー経験者。J1に上がった大好きなチームへ声援を送ることが理想だ。

 ささもと・のぶひろ 1960年3月、前橋市富士見町出身。会社員、トラック運転手を経て、27歳の時にバス運転手へ転身した。ボルテックスアーク(安中市)に勤務。

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