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就任2年目は布啓一郎前監督からリクエストを受け、思い通りの戦力補強ができました。当時加入したGK吉田舜(大分)、DF岡村大八(札幌)、MF飯野七聖(鳥栖)、FW高沢優也(大分)が後にJ1チームへ移籍したことからも、戦力の充実ぶりがうかがえると思います。
■連勝街道
夏場に連勝街道を走り、秋は主力の相次ぐ故障で一時昇格圏外となりましたが、最後は地力を発揮して敵地で福島戦に勝利、J2復帰を決めることができました。
ただ、内心は喜びだけではありませんでした。2019年11月には布前監督から「今季限りで退任する」という話がありました。説得はしましたが、布前監督にも人生があり、2年間ザスパのために尽力してくれた中での心づもりである以上、クラブの責任者として今後を考えねばなりません。すぐに複数の指導者をピックアップ、数日後には静岡県御殿場市まで、1人である指導者に会いに行きました。
人格や指導法、サッカー界での評判から総合的に判断し、後にオファーを出した奥野僚右現監督です。クラブOBの指揮官にJ2復帰初年度を託しました。20年シーズン当初は苦戦が続きました。私の高校サッカーの経験から、監督という仕事が孤独であることがよく分かっています。現場への介入はできないので、口にはしませんが、奥野監督の胸中を察し、心のよりどころにしてもらいたくて数冊の本を手渡しました。宮本武蔵や孫子の兵法などの本でした。
■世間話
私は試合のほとんどを観戦し、時間があれば練習場にも行きました。遠征先の駅や空港で選手たちと世間話をするときは「教員魂」がうずきます。若手には生活面の注意や努力の大切さなどを冗談を交えて伝えました。岡村やMF田中稔也には「波に乗っても、調子に乗るなよ」などと戒めの言葉も掛けました。みんな笑顔で応えてくれました。教え子のような選手の話を聞くのも楽しみの一つでした。
社長在任は3年が区切りと考えていました。クラブとサポーターの関係を修復し、クラブ内もプロサッカークラブらしくなってきたとは思います。ただ、J1に昇格し、そこで優勝するためには経営規模を大きくしなければならない。そのタスクを森
サポーター、スポンサーの皆さんや社員の協力、支援があって何とか私の責任は果たせたと思っています。3年間本当にありがとうございました。こんなに充実した生活が送れたクラブの社長は他にいないのではないかと思います。皆さまに深く感謝申し上げます。今後は一人のサポーターとして、いつまでもザスパを見守っていきたいと思います。(この連載は落合琢磨が担当しました)